好々彦の神代文化考

神話と系譜と足跡を元に”古代人の生き様”を読み解き、新しい古代史の視点を提案する。きっとあなたの古代史観が変わる!                                                              

外来文化が拓いた日本の国  

(2) 四つのルートで伝播した外来文化

 一世紀頃、弥生中期の朝鮮半島の状況は北に高句麗、西に百済、南に伽羅の諸国が配置され、四つのルート「朝鮮半島の文化」が伝わった。

  縮小外来文化図B
    「外来文化」伝播ルート関係図

新羅(斯盧)→隠岐→鳥取ルート鳥取神を祖神とする海人「鳥取族」により「鉄器文化」が伝播した。

百済→松露・筑紫ルートツングース中国の文化が高句麗経由で百済に入り、「鴨族」等により百済から松露筑紫「青銅器文化」が伝播した。

伽羅→筑紫ルート伽羅国「製鉄文化」「意富族」により伽羅から筑紫基肄に伝播した。
 
 二代「綏靖大王」の頃、伽羅国「製鉄文化」筑紫に拠点を置く「意富族」「須佐男命」を信奉する伽羅国から入植した氏族)の鉱山師「大田田根子命」が伝播した。伽羅国鋳鍛冶工人集団「別雷神」を連れて、紀ノ国沿岸の水利権を持つ二代目八咫烏「阿多津奇根命」に導かれ、紀ノ國鳥取郷に渡来入植し、赤鉄鉱や赤土から鉄を造る「鋳鍛冶技術」を伝来した。

 当時の「鋳鍛冶技術」は神業的な技術であったため神格化して工人たちを「雷神」と呼んだ。そして「鋳鍛冶族」「薪づくり」「鋳鍛冶」と仕上げの「研磨」まで一貫して一族で行っていた。十代「崇神大王」の代に神話が創生された際に「薪づくり」「研磨」は独立分離されて、「天麻比止都禰神」「天戸間見命」の二神が想起され、三神一体で「雷神」とされた。

 その子孫達は紀ノ国の大伴郷に住み着き倭国の出雲郷に住む「出雲土師族」と交わって、名草山の赤土、和泉陶邑辺たりに産する豊かな薪と窯土を得て、「鋳鍛冶技術」を発展させ伽羅国「製鉄文化」紀ノ国に根付き始めた。

 その事は「倭朝廷」にとって王権を揺るがす衝撃的な事態であり、鋳鍛冶工人集団を取り込むべく「大田田根子命」「朝廷」の最重要要職「三輪神主家」「大王家」の祖先を祀る三輪山神主の役)に任じ、「雷神」「神武東征」八咫烏を担った「賀茂建角身命」係累の「賀茂氏族」に従属させ、「朝廷」の配下に治め、取り込んだ。そして「賀茂剣根命」「葛城族」「天村雲命」が領有する葛城の県「葛城国造」の姓を授けた。爾来「剣根命」「大王家」に妃を送り込み、権勢を揮い葛城の大豪族となる。「葛城氏族」「天村雲命」「賀茂氏族」「剣根命」葛城の地「国譲り」したのである。「天村雲命」「朝廷」から但馬国紀伊半島沿岸から伊勢湾岸の開拓を命じられ「但馬国」に派遣され移住した。

 各地に「鋳鍛冶技術」を伝えた「雷神」「朝廷」によって「三輪神主家」の別族として「賀茂建角身命」の系譜(「建角身命」の娘「建玉依姫」の養子として縁組)に「賀茂別雷神」として組み込まれたため「別雷神」と呼ばれるようになった。以降「賀茂建角身命」を祖とする「陶族」「鋳鍛冶族」を取り込み掌握する事になった。後世に、「賀茂別雷神」「賀茂建角身命」の子孫「賀茂剣根命」によって葛城坐火雷神社の祭神として、また上賀茂神社の祭神として祀られた。太祖の「賀茂建角身命」下賀茂神社の祭神として祀られた。以降日本列島各地で開拓される製鉄産地は「三輪族」が管理する「朝廷」の直轄地となる。

 この「鋳鍛冶技術」は葛城、三島、山背、大江、播磨(姫路、川西、三木、小野)、福知山、亀岡、但馬、出石、吉備などの赤鉄鉱や丹鉄の原料鉄産地へと伝えられ花開き、以降紀ノ国倭国伊賀国播磨国但馬国淡海国美濃国尾張国三毛国製鉄国として栄えた。

新羅(金官)→筑紫ルート・・・新羅「製鉄文化」旧伽羅国金官から筑紫に伝播した。

 二世紀から三世紀頃、新羅国伽羅国を併合したため、海人「鳥取族」金官から筑紫基肄に至る朝鮮半島倭国を結ぶ最短ルートを得て、九州や日本列島の瀬戸内側や太平洋側との交易が出来る様になった。

 「鳥取族」新羅国渡来工人集団の長「国押富命」率いる多くの工人集団を連れて紀ノ国鳥取郷に渡来入植した。その渡来工人集団は以下の面々である。

 「額田部石凝姥命」(鋳凝湯伎)・・・鉄や銅の「鋳鍛冶技術」を伝えた神(鋳物師の祖)

⊿ 「天麻比止都禰命」・・・炭焼き工人肥国有馬郷が本拠地)で「石凝族」と一体となって仕事をする工人集団で「麻気神」「薪神」と云われる。

⊿ 「天戸間見命」(砥磨神)・・・「金属研磨技術」を伝えた神「砥石神」

⊿ 「額田部馬飼い族」・・・馬の放牧、畜産、馬力による耕作、泥濘や川の渡渉、重量物の牽引運搬、儀礼飾馬、早馬、駅馬など馬繰り工人

⊿ 「日下部馬津族」・・・舟による水運から陸運へと荷を引き継ぐ時、道なき道の沼地や葦原の中を馬で荷を運搬する工人で、馬津を設置し(日下、草加、草津、久坂、草香、草部、深草などの地名に残る)、馬による荷運や巨石や巨木を運搬する工人

⊿ 「額田部石撞族」・・・巨石切り出し、運搬、加工する工人

⊿ 「大屋津彦命」「五十猛命」が祖神)・・・造船、造港湾、造殿などの「築造技術」を伝えた神(大工の祖

 新羅から「玉造り文化」のみならず「鋳鍛冶文化」「馬飼い文化」「馬津文化」「造船、造殿文化」など多彩な文化が導入され、壮大な「古墳文化」の花が開いた。これらの技術や文化は紀ノ国河内国倭国の葛城・磯城、伊賀国へと伝わった。特に「鋳鍛冶技術」伊賀国で花開いた。

 [鋳鍛冶族関係系図]
                 ※印は天孫族               伊賀へ派遣・移住した神
                                           ↓
                 宇佐津臣命ーーーーーーー御食津臣命ーーーーーー伊香津臣命
                (工人集団を舟運帯同)            (御食国の管理)

大山咋命(山師族の祖)ーーーーーー大田田根子命ーーーーーー大御気持命ーーーーーー意富伊賀都命
                (渡来工人集団を帯同) (大伴氏族の祖)   (伊賀土を発見)
※神武大王           (三輪神主家)
   |ーーーーーーーーーーーーー出雲神門臣ーーーーーーー出雲沙麻奈姫
伊須気依姫命(出雲土師族)                 |
                              |---------建甕槌命
                              |        (窯焚き技術を発明)
天日方奇日方命(八咫烏)-ーーーー阿多津奇根命ーーーーーー建飯勝命
                (加茂氏の祖)

                ※天津彦根命      ※天御影命
高倉下命(葛城族の祖)------八玉彦命ーーーーーーーー阿自加伎哀命ーーーーー彦伊賀都命
               |ーーーーーーーーー|             (原料鉄の採掘)
※天糠戸命(額田部の祖神)--| ※別雷神    |ーー※天湯河桁命
(筑紫基肄に入植した神)   |ーーーーーーーーー|
               | 額田部石凝姥命 |ーーー額田部湯河桁命ーーーー額田部湯坐命
               | ※天麻比止都禰命|             (鋳物師族)
               | ※天戸間見命  |
               |ーーーーーーーーー|
                   |
                   |--------※賀茂別雷神
                   |        (葛城坐火雷神社祭神)
               |・賀茂建依姫命     (上賀茂神社祭神)
賀茂建角身命(陶族の祖)-ーー|
(下賀茂神社祭神)      |・賀茂建依彦命ーーーーーー賀茂剣根命
                            (葛城国造)


category: (2)四つのルートで伝播した外来文化

thread: 歴史 - janre: 学問・文化・芸術

tag: 古代文化  外来文化  馬飼い文化  馬津文化  石撞文化  鉄器文化  青銅器文化  製鉄文化  金属精錬文化   
tb: --   cm: 0

日本の国のなりたち  

(2)海人族の交易が培う古代文化

 日本列島の起源まで遡れば原人がいたのはまちがいないが、一般論として西方には南方諸島から海を渡り九州南部に渡来、入植した「熊襲」と云われる南方系の民族が定住化し、東方にはカムチャッカ半島などから海を渡り北海道、東北方面に渡来、入植し「蝦夷」と云われる北方系民族が定住化し、「縄文文化」を形成した。前一万年から前四世紀を縄文時代と云うが、神話では渡来系縄文人は高天原(天上界)から葦原中国(地上界)に降臨したとされているが、原住民系縄文人は星から地上にやって来たとされている。

 渡来系縄文人は外洋航海術を身に付け、長い距離を丸木舟で往来していた。交易品は南海諸島や中国大陸、朝鮮半島、日本列島など広域に及ぶ産物で、交易は朝鮮半島、対馬、九州北部の間で盛んに行われていた。
 
 縄文時代丸木舟B
  縄文時代に外洋往来したと思われる長さ8m、直径1m以上の丸木舟が舞鶴市浦入遺跡で出土している。

 前四世紀から三世紀までを「弥生文化」の時代と云い、中国や朝鮮半島などとの交易が盛んになり、多くの民族が九州北部に渡来、入植し、さらに東方に移住し、物や技術の交易が盛んに行われた。特にこの時代の特色は、前五世紀水稲耕作が九州北部に伝えられ、数百年程度で急速に日本の東北まで駆け抜けた。また土師技術や鋳鍛冶技術が九州北部に持ち込まれ、「日本海ルート」「瀬戸内ルート」で日本列島(大八島)の東方へ伝わった。

 渡来弥生人達は、より高度な航海技術を持ち、大型化した構造船で外洋や内海を往来した。又河川や湖沼は平底の川舟で往来した。長い距離を航海するには、途中で船のメンテナンスをしたり、新造したり、食料や水の補給、櫂子の交代などをする拠点港をつくり、さらに物資の集散や交易をする市場の機能をもつ椿市、海柘榴市、津波市などに発展する(港市)がつくられた。

 古代構造船_convert_20160731163953 湖河舟ルーツ丸木舟縮小2_convert_20160731174726
   弥生時代に外洋往来した構造船と河川・湖沼往来した平底川舟のイメージ図

 縄文時代の交易品は南方諸島からは貝輪などの「アクセサリー」や釣針、スプーン、銛など「骨角器」、日本列島の諸地域からは包丁、斧、鏃、鑿、錐、鎚、など「黒曜石製石器」、砥石、鑢など「サヌカイト製石器」、勾玉、菅玉など「ひすい製玉」、また塩、穀物、縄文 土器などの「生活財」等が主に交易された。

 弥生時代の交易の特色は縄文時代と異なり単に物だけの交易ではなく技術を伴った物の交易であった。防腐剤や識別塗料の役割をもつ「丹土」や金、銀の精錬、鍍金を行うための「水銀」や銅鐸、銅鏡を製造するための銅剣、銅矛、銅戈などの「原料青銅」や鉄剣、馬具、農具などを製造するための鉄斧、鉄鋋、鉄ドリルなどの「原料鉄」や砥石、石槌などをつくる「原石」やメノウ、水晶、碧玉などの「玉造用原石」や製鉄用触媒、漆喰用の素材としての「石灰石」や窯、鋳型を造る素材としての「耐火土」や埴輪、須恵器をつくるための「赤土、白土」や製陶、精錬の窯焚きに必要な「薪炭」や冠飾り、馬具飾りなどに使う「金銀素材」など、その他「銅鐸」「銅鏡」「鉄剣」「鎧」「馬具」「農具」「須恵器」「土師器」「巨石」「巨木」「穀物」「塩」「麻縄」や麻、絹、綿などの「布素材」や鮑、鯛、鮎、岩魚、鮭、など「海鮮」「干物」や桃、栗、栃、胡桃などの「果実」「漆」「椿油」「梅酢」「柘榴酢」「葛」等々多岐に亘る。


      

category: (2)海人族の交易が培う古代文化

thread: 歴史 - janre: 学問・文化・芸術

tag: 古代文化  交易品  縄文時代  弥生時代  縄文文化  弥生文化  渡来縄文人  渡来弥生人  原住民系縄文人  渡来系縄文人 
tb: --   cm: 0