好々彦の神代文化考

神話と系譜と足跡を元に”古代人の生き様”を読み解き、新しい古代史の視点を提案する。きっとあなたの古代史観が変わる!                                                              

外来文化と技術が拓いた日本の国  

(4) 新しい金属文化をもたらした錬金術師たち

 三世紀頃九代「開化大王」の代、「国押富命」(開拓移民団の長)が鉄鋳鍛冶族の「都奴我阿羅斯等命」(「阿羅国津沼河の領主」)や採鉱精錬族の「額田部築箪命」や「丹生都姫命」を祖神とし、夜須基肄に渡来した丹生水銀族の「息長水依姫」(「息長氏」の祭神)と銅鋳鍛冶族の「額田部大加賀美命」を率いて、筑紫基肄に渡来、香春(河原)に入植した。

(4)・1 新しい製鉄法を伝播した「都奴我阿羅斯等命」

 「都奴我阿羅斯等命」「天日矛=あまのひぼこ」とも呼ばれる)は「物部氏」の海部である海人「安日彦族」に帯同し、大分の姫島を発して播磨の姫路、難波の姫島、淀川から宇治川を遡上し淡海国の琵琶湖に入り、草津の穴邑に一時拠点を置き、さらに琵琶湖の塩津を経て但馬国へ入り、敦賀若狭を経て豊岡出石に至り住み着いた。通過した各地で製鉄や精錬や窯業など技術を地元の人々に伝えた。

 九州北部や日本海沿岸に残る「天日矛」伝説地は「都奴我阿羅斯等命」など鉄鋳鍛冶工人集団が入植した地である事に間違いないが、「天日矛」「都奴我阿羅斯等」の別名であると定説化されていることに言及すると、「天日矛」「あまのひぼこ」ではなく「あひほこ」あるいは「あいひこ」である。つまり舟運帯同した海人「安日彦=あいひこ」の呼び名が転訛したと考える。

 江戸時代の国学者が、海人「安日彦族」に舟運帯同した「都奴我阿羅斯等」を同一視して「あまのひぼこ」と読んだ事に起因していると思われる。これが原因で海人「安日彦族」の歴史上の存在が希薄になっているのではないかと考える。「都奴我阿羅斯等命」については次カテゴリの(5)で述べる。

(4)・2 画期的な金属精錬法を伝播した「丹生水銀族」

 「丹生水銀族」「息長水依姫」「銅鋳鍛冶族」「額田部大加賀美命」「採鉱精錬族」「額田部筑箪命」は海人「安日彦族」に帯同して大分の宇豆高島を発ち、下関府中、神戸の御影淀川から宇治川を遡上し琵琶湖に入り、三上山の麓の蒲生に入植し、銅鏡銅鐸を鋳造し「鋳物師の里」を拓いた。

 「丹生水銀族」はさらに、米原の丹生川余呉の下丹生敦賀の丹生若狭の大丹生丹後半島琵琶湖西岸の高島など淡海国敦賀国但馬国を開拓した。

 二世紀頃、既に新羅国から「額田部」祖人「日本海ルート」但馬地方に入植し、鋳物師の郷を開いていたが、三~四世紀頃、十代「崇神大王」の時、但馬国に入植した「丹生水銀族」「息長水依姫命」は九代「開化大王」の王子「彦坐王」(淡海今津在住豪族で「丹波国併合」の命を受け「四道将軍」・初代「丹波通主命」として派遣された)と結ばれ、「彦宇斯王」「丹波息長氏」の祖、二代「丹波道主命」)と「水穂真若王」を儲けるが、既に「彦坐王」には正妃「和珥氏族」「袁祁都姫命」との間に王子「大筒城真若王」「山城息長氏」の祖)がおり、二系統の「息長氏」が誕生した。「丹波息長氏」は丹波、東淡海、尾張地方の水銀採掘を担い、「山城息長氏」は各地で採掘された水銀「朝廷」に集める役割を担った。これより「息長水依姫命」「息長氏」始祖となる。

 十代「崇神大王」の時代から本格的に「大和国家併合・統一」が始められたが、「水銀」によって「金」「銀」「銅」精錬鍍金(メッキ)が出来ると云う「魔法の錬金術」を持った「丹生水銀族」丹波国、現舞鶴市の行永地区に入植したのを契機に「大王家」はいち早く「丹生水銀族」を取り込んで、丹波国「朝廷」直轄地とした。その土地の女神と結婚して土地を領有したのである。

 [金属文化と丹波国併合の関係系図]

                 (丹生水銀族)
               |⊿ 息長水依姫   (2代丹波道主命)
     (新羅工人集団の長)|  |      |・彦宇斯王(丹波息長氏の祖)
        ⊿ 国押富命ー|  |------|
               | (鉄鋳鍛冶族)  | ・水穂真若王
               |⊿ 都奴我阿羅斯等ーー丹波遠津臣ーーーー高材姫 
                                     |
                |・伊理泥王ーーーーー阿治佐波姫     |ーーーー息長宿爾王
(和珥氏族)  |・彦国姥津命ー|           |        |   (朱智氏の祖)
和珥彦押人命ーー|       |・袁祁津姫      |ーーーーーーー迦邇米雷王
        |・意祁都姫    |         |      (朱智神社祭神)
          |        |ーーーーーーーー大筒城真若王(山城息長氏の祖)
          |       |(初代丹波道主命)
          |------ー彦坐王
         (丹波今津の豪族)|ーーーーーーーー日葉酢姫
(但馬鋳鍛冶族)|・丹波摩須命ーーー丹波摩須郎女    |
丹波由碁理命ーー|        (丹波河上姫)    |
 (湯凝)   |・竹野姫               |
           |ーーーーーー彦湯産隅命     |------⑫景行大王
        |・⑨開化大王  (丹波国造)     |        |
孝元大王ーーー|                   |        |
        |・大彦命ーーーーー御間城姫      |        |-ーーー⑬成務大王
                  |-------⑪垂仁大王      |
           |----ー⑩崇神大王               |
          伊香色謎命   |                  |
         (物部氏)    |ーーーーーーーー八坂入彦命ーーーー八坂入姫
(若狭湾を仕切る海部)       |       (丹波弥栄の豪族)
建斗目命ーーーーーー建多乎利命ーーー尾張大海姫
         (丹波国造)
                           ⊿印は丹波国に入植した新羅の渡来工人集団

 
 二代「丹波道主命」を賜った「彦宇斯王」若狭国造「笠津彦命」の系属が治める国の行永地区を開拓し、倉梯山「丹生水銀族」の聖地とし「息長水依姫命」「息長氏」の祖神として祀り、行永地区志楽郷倉梯郷を本拠地とした。

 「丹生水銀族」「朝廷」直轄の氏族として発足したことが「息長氏」発祥の由来であり、「行永」を本拠地とした事が「息長」と云う名の由来である。

 「行永」の地名の謂われは何か? 「行永」「ゆき」「湯伎」のことである。但馬国を支配した「物部湯支命」「湯支」但馬に入植した「額田部石凝姥命」「姥(おき)はゆきが転訛したもの=湯伎」「額田部湯河桁命」「湯河桁=ゆかけ」「但馬由碁理命」「由碁理(湯凝)=ゆごり」「開化大王」の王子で丹波国造「彦湯産隅命」「湯産隅=いぶす」などは鋳物師鋳鍛冶技術を表す言葉で「湯」が共通語になっている。

 鉱物を高温で溶かして液状にしたものを「湯」と云う。「鋳物師」ことばに「湯を注ぐ」とか「湯流れ」と云うのがある。「湯河桁」や「湯凝」や「湯産隅」は「湯」を造ったり、加工する技を持つ「湯伎(ゆき)」=「鋳物師」のことである。

 「行永」「なが」「ぬが」が転訛したもので「額=ぬが又はぬか」である。つまり含鉄鉱砂鉄など「額土=ぬかど」の意であり、「額田部」「額=ぬか」でもある。「行永」鋳鍛冶族「額田部」が拓いた「鋳物師」の郷の地名である。

 「丹生水銀族」はなぜ「行永」に入植したのか? 東舞鶴「行永」地方の北方の若狭湾に突き出た小さな半島に大丹生川が流れており、「お水送りの神事」が行われる場所が「水銀」の産地大丹生遠敷」である。この地は「若狭湾岸楕円構造線断層帯」に属し、上古から「水銀」がよく採れた。「行永」を拠点にして「水銀」採掘が行われていたのである。

 また、山城息長氏の祖「大筒城真若王」は琵琶湖を南下し、さらに宇治川を下り木津川を遡上し中流の京都市田辺付近の山代譜賢谷を拠点とし、「朝廷」直轄地で採掘される「水銀」を集積し、「朝廷」に貢納する役割を担った。また「息長氏」は子孫代々官名「真人」「真若」を名乗り「朝廷」の役人を務めた。丹波息長氏の祖「水穂真若王」の子孫「息長丹生真人氏」代々は滋賀県伊香郡余呉町上、下丹生や坂田郡米原町上丹生を開拓し、それぞれ余呉米原の醒ヶ井野洲郡一帯を拠点とし、さらに三重県桑名郡多度町丹生や岐阜県高山町丹生川村を開拓した。

 余談であるが、「息長氏」の祖神はなぜ女神なのか? 「丹生族」は元々「海人族」で、船の防腐に必要な「丹生」を自らの手で採取を始め、交易品としたのが始まりで、祭神「丹生都姫神」と云う女神である。「海人族」祭神もまた不思議なことに世界共通して女神である。「丹生族」の一枝「丹生息長氏族」の祖神も「水依姫」「彌都波能姫」)と云う女神であるのも不思議なことではない。「丹生氏族」「丹生都姫神」を、「丹生息長氏族」「息長水依姫神」を祖神とする。

 縄文、弥生時代から但馬国若狭国淡海国新羅国「鳥取族」「額田部族」により開拓され新羅系民族の居留地となり、「玉石」はもちろんのこと「丹生」「丹鉄」「水銀」などが産出し、新羅国朝鮮半島諸国と交易し、産地情報などの交流も十分になされていた。

 三世紀頃、朝鮮半島では新羅国伽羅国を併合したため、新羅人金官から筑紫を玄関口として「瀬戸内ルート」で先達の新羅人を頼って淡海国若狭国但馬国に入り、さらなる交易ルートの開拓を行った。

 九代「開化大王」の時代には但馬国若狭国淡海国尾張国伊賀国山背国紀の国吉備国は既に「倭朝廷」に併合され直轄地となっており、「物部氏」が厳しく「御食国」の管理を行っていた。

 但馬国若狭国淡海国で採掘された「水銀」「丹波息長氏族」によって西淡海の高島に集められ、「山城息長氏族」により大津を経て宇治川を下り、木津川を遡上し中流の井手玉水の津に舟運、集積され、山城県主を務める「大筒城真若王」が管理し「倭朝廷」に貢納した。

 「水銀」は常温で液体となる唯一の鉱物である。古代では「水」、「水穂」、「瑞穂」などと呼ばれていた。「お水取り」神事の「水」とは正に「水銀」を指した言葉である。「お水取り神事」については別途投稿する予定。

 古代に於いて「水銀」は「金」、「銀」、「銅」の精錬や鍍金(メッキ)をするのに重要な鉱物であった。「水銀」は「若狭湾岸楕円構造線断層帯」の他「中央構造線断層帯」及びその西端の「別府・島原地溝帯」の北端に多く産する。「丹生族」はこの地溝帯や断層帯に沿って西から東へと移動しながら丹生産地開拓をした。「倭朝廷」は丹生産地を次々と直轄化して、基幹産業として「国家」の礎を築いた。

 中央構造線断層帯C
     古代の「地溝帯」「断層帯」辰砂露出水銀がよく採れる「丹の道」であった。

(4)・3 「水銀」による魔法の錬金術
 
 古代の「水銀」による「金」や「銀」や「銅」の精錬・鍍金が出来る魔法の錬金術法について記す。

古代「水銀」の精錬方法

 自然水銀C縮小2_convert_20160905183544 丹土
  水銀鉱脈から露出した水銀玉と細かく粉砕された辰砂

 水銀精錬法と辰砂製造法縮小2_convert_20160906122737
  左は辰砂を陶器炉で加熱して「水銀」を精錬する様子、右は辰砂を細かく擂り潰す様子 

 水銀鉱脈水銀玉が露出している場合と「水銀」硫化化合物である辰砂丹土)から精錬し生産する場合がある。辰砂から精錬する方法は辰砂を陶器炉で加熱し水銀蒸気亜硫酸ガスを生じさせ、水銀蒸気を冷却、凝縮させて「水銀」を精錬する。

古代「金」「銀」の精錬方法

 金鉱脈から掘り出した金鉱を粉砕し粒状にして、「水銀」を混入接触させる(砂金の場合はカンナ流しの過程で)と「金」「水銀」に溶けて「金アマルガム」になる。この「アマルガム」350℃で加熱して「水銀」を蒸発させて「金」を冷却、凝縮させ「金」を精錬する。

古代「金」鍍金(メッキ)の方法

 「金」「水銀」を加えて「金アマルガム」」をつくり、銅鏡銅像などにタンポ刷毛などで塗り、350℃の炎で炙り「水銀」を蒸発させ、梅酢で洗って木灰などのアルカリで磨くと輝きのある「金」「銀」鍍金(メッキ)が得られる。余談になるが、終戦後小生が小学校五~六年生の頃、虱(しらみ)を退治する水銀軟膏水銀アマルガム)の配給があり、学童服の真鍮釦に塗り、二つの釦を擦り合わすと銀メッキになるのを楽しんだ記憶がある。

 古代に於いて、「金鍍金」(金メッキ)はさることながら「金」や「銀」を精錬するするにはどれ程「水銀」が重要な役割を果たしたか計り知れないものがある。「倭朝廷」が「丹土」や「水銀」の獲得に如何ほど心血を注いだかが伺い知れる。

 

category: (4)新しい金属文化をもたらした錬金術師

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