好々彦の神代文化考

神話と系譜と足跡を元に”古代人の生き様”を読み解き、新しい古代史の視点を提案する。きっとあなたの古代史観が変わる!                                                              

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日本の国のなりたち  

(4) 国づくりを支えた先住弥生人

(4)・1 日本全土に広がる鴨族の国づくり

 「鴨族」は現在の中国と北朝鮮の国境を流れる鴨緑江、鴨の背羽根の如く深緑色の水が流れる大河を中心に存在する高句麗に居留していた民族の一枝で、北方のツングース系騎馬民族の「馬文化」「農耕文化」「彩色土器文化」「鉄器文化」、の影響と中国の「青銅器文化」の影響を受けた民族で、「鴨族」「農耕文化」「青銅器文化」「鉄器文化」を携えて海人「安曇族」に帯同して筑紫の三輪に渡来した。縄文晩期のことである。「鴨族」は筑紫国の三輪を起点に三つのルートで日本列島の東方に移動する。

①日本海ルート 三輪に渡来した「鴨族」の一枝は三代の事代主に亘って、筑紫(三輪)→出雲出雲鴨族→九頭竜川白山鴨族→新潟信濃鴨族)の拠点に入植、それぞれの拠点を基に国づくりをする。出雲に入植した「鴨族」「青銅器文化」「農耕文化」を携えてやって来た。

②瀬戸内ルート 三輪に渡来した「鴨族」の一枝は五代の事代主に亘って、筑紫(三輪)→安芸津→吉備→神戸→三島三島鴨族)・紀の国太田太田鴨族)・箕島箕島鴨族)・吉野吉野鴨族)・宇陀宇陀鴨族→倭国の三輪の拠点に入植、それぞれの拠点を基に国づくりを展開した。吉備、三島、紀伊地方に入植した「鴨族」「鉄器文化」「土器文化」「農耕文化」を携えてやって来た。

③中央構造線断層帯ルート 三輪に渡来した「鴨族」の一枝は海人「阿知族」に帯同して三代の事代主に亘って、筑紫(三輪)→九州菊川流域→九州曽於船津→大分を経由して伊予伊予鴨族)・讃岐三加茂鴨族→紀の国太田鴨族)→葛城(葛城鴨族)の拠点に入植、それぞれの拠点を基に国づくりを展開した。

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        鴨族移動ルート図
 
 「大国主命」を祖神とする「鴨族」の国づくりは海洋民族に助けられて行われた。つまり「鴨族」は海人に運ばれて国づくりをしたのである。

 神話では、初代大物主の「大国主命」の正妃は海人「安曇族」の娘「多紀理姫」で、その子二代大物主の「奇津事代主命」の妃も「安曇族」の娘「美穂姫」であり、その子三代大物主の「美穂津事代主命」の妃も「安曇族」の娘「生魂依姫」であり、又「大国主命」の外妃は海人「阿知族」の娘「鹿屋楯姫」で、その子「味耜高彦根命」の妃は「阿知族」の娘「小倉姫」である。本家筋の事代主三代に亘って妃は海人「安曇族」であり、分家筋の「阿知鴨族」も三代に亘って妃は海人「阿知族」である。「鴨族」は海人に運ばれたことを示している。ここでも海洋民族が日本の建国を導いたと云える。

 また神話では、「大国主命」「須佐男命」の六代後の子孫で、出雲国に降臨し懸命に国づくりに励む姿が語られているが、祖孫たちが日本の各地の国づくりに励んだ事は語られていない。「鴨族」の国づくりは出雲の国づくりに象徴的に語られているのである。

 「大国主命」は曽於船津を発して九州を東回りに宮崎を経由して福岡の三輪に至り、そこから「日本海ルート」で出雲に降臨し、さらに北陸へ東拓した。

 「大国主命」のもう一人の妃「鹿屋楯姫」の子「味耜高彦根命」は分家筋で、「中央構造線断層帯ルート」で葛城に降臨し、葛城の豪族として君臨し、子孫代々「葛城鴨氏」として葛城鴨県主を務める。

 古事記によると「鴨族」の祖神「大国主命」の妃は少なてとも六人いる。「大国主命」は正妃として宗像の「多紀理姫」と、妃としては曽於船津の「鹿屋楯姫」、鳥取の「鳥取姫」、因幡の「八上姫」、越(北陸)の「渟名川姫」、諏訪の「須世理姫」と次々と結婚する。古代の信仰では、その土地の女神と結婚することは、その土地を領有することである。

 神話では、「大国主命」は”国づくりと云うものは一人の力では出来るものではない”と語り、「少名彦命」の力を借りて次々と国づくりをした。また「大国主命」は多くの別名を持っており、その事は多くの大国主がいたか、あるいは「大国主命」の多くの子孫達によって国づくりがなされたことを物語っている。決して「大国主命」一人が国づくりをしたのではないと云う真実を伝えている。

 「鴨族」の国づくりは、例えば海人「安曇族」に帯同して行動すれば、族同士が一体化したものを除いて、入植地の鴨邑の近くには「安曇族」の邑が見られ、「鴨族」は粟、稗など穀物、農産物などを供給し、「安曇族」は塩や海産物を供給し共生関係が培われており、正に「山幸彦」と「海幸彦」の兄弟関係を彷彿とさせるものがある。

[鴨族と海人族との関係系図]

海神安曇族-ーー須世理姫(諏訪)
         |
海神安曇族ーーー渟名川姫(越)
         |
海神安曇族ーーー八上姫(因幡)
         |
海神鳥取族ーーー鳥取姫(鳥取)
         |            生魂依姫
                 美穂津姫   |ーーーーーーー積羽八重事代主(4代大物主)
海神安曇族ーーー多紀理姫(宗像) |----美穂津事代主(3代大物主)
         |ーーーーーー奇津事代主命(2代大物主)
        大国主命(初代大物主)
         |ーーーーーー味耜高彦根命
海神阿知族ーーー鹿屋楯姫(曽於船津)|----鴨都波八重事代主命
                小倉姫

 [鴨族の系譜]

      天国魂命ーーーーーー小倉姫
      (葛城の地主)   |(下照姫)(葛城鴨氏の祖) (夜須)     刺国若姫
                |------鴨部八重事代主 太耳姫      |ー天事代主籖入彦
      神屋楯姫      |     (鴨部彦)    |----ーーーー蕗根命
      |(曽於船津) |・味耜高彦根        |①神立彦     (筑紫三輪)
櫛稲田姫  |-----ーー|(葛城に降臨)       | (曽於船津)
|     |(初代大物主)|・高子姫          |⑫太田部事代主ーーー鴨美良姫
|ーーーーー大国主命                   | (太田彦)    |
|     |(奇杵)   |・島津大人         |⑪簑島彦      |ー阿多津奇根命
須佐男命  |-------|(2代大物主)       |          |(加茂氏の祖)
      |       |・奇津事代主        | 三島溝杭姫  |・天日方奇日方命
      多紀理姫      |(奇彦) (3代大物主)| |      |(鰐彦)↑
      (竹子姫)     |ーーーーーー美穂津事代主| |ーーーーーー|・櫛梨彦継承権移譲
                |      |(美穂彦)|(4代大物主) |(仲彦
                美穂津姫   |-----|②積葉八重事代主|・蹈鞴五十鈴姫
                       |     | (奇甕積葉彦)  |(正妃)
                       生魂依姫  |③吉野御子守彦   神武大王
                             |
                             |④宇陀彦
                             |
                             |⑤~⑩省略

 摂津三島に居留していた「鴨族」本流の四代目大物主「積葉八重事代主命」、「神武東征」で三島に立ち寄った「大王家」に娘「蹈鞴五十鈴姫」を正妃として送り込み支配下に入り、「大王家」の最初の属民となった。「鴨族」の系譜がこの様に残されているのは「大王家」と強い絆で結ばれた証でもある。

 「鴨族」の系譜は四代目大物主以降希薄になっている。その理由は、「神武東征」で海の八咫烏を担い、何年も行動を共にした「天日方奇日方命」「加茂氏」を賜り、「櫛梨命」五代目継承権を譲受し、「鴨族」本流を吸収した事にある。

 この事は系譜の中の筑紫三輪在地の「蕗根命」「刺国若姫」の間の子「天事代主籖入彦」があり、「天日方奇日方命」の出自を正当化するための系図の作為と見られる。

 海の八咫烏「天日方奇日方命」)が「加茂氏」を賜り「鴨族」本流を吸収し、陸の八咫烏「賀茂建角身命」)が「賀茂氏」を賜り「鴨族」分流の「葛城鴨氏族」を吸収し、縄文古来からの古族「鴨族」は晩期(前一世紀頃)には新しい勢力の中に埋没する結果となった。



(4)・2 国づくりを支えた大和国の先住弥生人

摂津国の先住弥生人 古くは山背国の三島県、現在の茨木市、高槻市、淀川を挟んで寝屋川市、枚方市当たりに居住していた「神武東征」で陸の八咫烏として功績のあった「建角身命」の祖先の「陶族」の「陶津耳命」と三島に居住していた導水溝建設や陶土づくりの水簸技術、水配りなどの技術をもつ「溝咋族」の「溝咋耳命」「三島鴨族」先住弥生人として住んでいた。そして「陶族」「溝咋族」は兄弟関係にある。弥生後期に水稲耕作が入って来ると同時に「溝咋族」「三島鴨族」に吸収された。

倭国の先住弥生人 古くは磯城県、現在の五条市、御所市、大和高田市、橿原市、桜井市などに当たる地域、及び吉野、宇陀地区には縄文時代に九州の曽於船津から「丹の道ルート」で葛城に渡来した「鴨族」の分家筋の「味耜高彦根命」の子孫の「葛城鴨族」や帯同した海人「阿知族」の子孫である「磯城族」、同じく一枝の「阿知馳(土師)族」「丹の道ルート」で葛城高尾張に入植した海人「阿知族」「天火遠理命」(天尾張命・山幸彦)の子孫である「葛城族」(星からやって来たと云われる原住民系縄文人「葛城赤星」)や「宇陀鴨族」、吉野には「吉野鴨族」先住縄文・弥生人として住んでいた。

紀の国の先住弥生人 現在の和歌山市、有田市などに当たる地域の太田郷には「太田鴨族」が、荒賀郷には「紀の国丹生族」が、さらに有田郷には「箕島鴨族」先住弥生人として住んでいた。

 これら先住弥生人は「稲作文化」「陶器文化」など文化を培い日本の国づくりの礎を築いた。


        













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category: (4)国づくりを支えた先住弥生人

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tag: 先住弥生人  鴨族  出雲鴨族  三島鴨族  太田鴨族  葛城鴨族  陶津耳族  溝咋族  紀の国丹生族  吉野丹生族 
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日本の国のなりたち  

(3)国の礎を築いた海人族と渡来先住民の交わり
    ー縄文・弥生文化を運んだ海人族と渡来先住民(鴨族)の共生ー

(3)・1 九州に古代文化を運んだ隼人族

西北九州(肥国) 前一万年頃旧石器時代に五島列島ルートで「波邪(五島)隼人族」が松浦半島唐津に渡来し、「縄文文化」を受け入れたことで、そのまま縄文人へ移行しながら内陸部へと移動、縄文後期には吉野ヶ里に集落を形成し、前四世紀頃には大規模集落へと発展する。この縄文人が「弥生文化」を取り入れた事でそのまま弥生人へと移行し、三世紀頃には集落最盛期を迎える。 
 
西南九州(熊襲国) 前一万年頃縄文時代に種子島ルートで「多禰隼人族」が大隅半島肝属平野に渡来、内陸部へ入り曽於から更に北上し球磨川流域の球磨へと入植、そのまま「弥生文化」を取り入れ弥生人へと移行した。球磨地方と曽於地方に居住する民族を「熊蘇隼人」と称する。

東南九州(豊国) 前一万年頃縄文時代に「多禰隼人族」が日向に入植し「日向隼人族」と称し、そのまま「弥生文化」を取り入れ弥生人へと移行し、更にそのまま古墳時代へ移行した。

 縄文初期から弥生後期まで洞窟居住が行われていたが、弥生後期から古墳時代に亘り大豪族が出現し、列状柱建物花弁色間仕切り住居が出現した。また三世紀から七世紀前半にかけて西都の台地に大規模古墳群が形成された。

 稲作は前一万年頃縄文時代に種子島ルートで焼畑陸稲耕作が伝わり、前五世紀頃縄文時代後期に北部九州から水田耕作の文化が入ってきた。

 「熊蘇隼人族」で海を拠点にする隼人族は二族に分かれ、薩摩半島に拠点をもつ隼人族を「阿多隼人」と称し、大隅半島側に拠点をもつ隼人族を「大隅隼人」と称する。二部族の頭は兄弟である。

 「阿多隼人族」「大隅隼人族」は薩摩半島南部や桜島の度々の大噴火の被害を避け、日向(宮崎平野)に拠点を移した。日向を拠点とする「日向隼人族」「阿多隼人族」「大隅隼人族」を受け入れ、パワーアップして弥生時代から古墳時代にかけて一大文化圏を築いた。

東北九州(筑紫国) 前一万年頃旧石器時代に五島列島ルートで「波邪(五島)隼人族」の一枝が福岡板付に渡来、「縄文文化」を取り入れたことで、そのまま縄文人へと移行し、前四世紀頃朝鮮半島から筑紫国に渡来した多くの渡来系弥生人と交わり、筑紫国へ移動、さらには九州を出て日本の東方へ大移動することになる。

 海人族入植図縮小1_convert_20160731143922
   九州と日本海沿岸に古代文化を運んだ海人族

(3)・2 日本の礎を築いた三系統の海人族

海人阿知族 阿知族中国→五島列島→西北九州のルートで渡来した「天忍穂耳命」を祖神とする海人族で「瓊瓊杵命」(渟名杵命)が有明海に降臨、筑後川流域から有明海域に拠点を置き、干潟の海を舟運、漁労を中心に活動していたが、経ヶ岳、雲仙岳、吾妻岳などの度重なる噴火の被害を避け南下して西南九州の笠沙に入植、「阿多隼人族」と一体化し、更に鹿児島湾に入植し「大隅隼人族」と一体化し、鹿児島湾に拠点を移して、パワーアップして活動するが、また度重なる池田カルデラ、鰻カルデラ、開聞岳や桜島の大噴火の被害を避け、豊国の日向に拠点を移して入植し、「日向隼人族」と一体化した。

 さらにパワーアップして、「阿多隼人族」の祖神である「天火照命」(海幸彦)や「大隅隼人族」の祖神である「天火須勢理命」「彦八井耳命」(後の「神武大王」)の父「鵜葦草葺不合命」が一大拠点をつくった。その拠点・日向西都原を造営した主を「曽於津彦命」と称する。

 他方、「瓊瓊杵命」と異母兄弟である「天火明命」は博多に渡来し、朝鮮半島の加羅国から筑紫に渡来した「丹生都姫命」を祖神とする「丹生族」を帯同し、内陸部を南下し基肄に入植し、さらに丹土や水銀が産出する中央構造線断層帯の西端に当る佐賀の武雄、嬉野に移動し、ここを基点として、舟底や建造物、棺などの防腐剤となる丹土の採掘、交易を行い、さらに中央構造線断層帯(丹の道)を東方へ移動し大分周辺で丹土採掘を行い、大分を交易の拠点とし、大分湾沖の高島を拠点の聖地(シンボル)とした。

 佐賀に移動した一族は「夜須基肄丹生族」として、また大分に移動した一族は「大分豊後丹生族」として丹生採掘や交易の活動をした。
 
 「天火明命」を祖神とする海人「天火遠理命」(天尾張命・山幸彦)はさらに丹土を求めて「丹生族」を帯同して大分高島を出発し、中央構造線断層帯を海や陸を渡り日本の東方に向かい、速吸の瀬戸を渡り四国に入り吉野川を下り、紀伊水道に入り淡路島の沼島を経て紀の国に入り、さらに紀ノ川を遡上し吉野川に至り最終的には葛城山に降臨する。

 四国伊予の丹原に移動した一族は「伊予丹生族」として、讃岐山城に移動した一族は「讃岐丹生族」として、丹生採掘や交易の活動をした。また紀の国に移動した一族は「紀伊丹生族」として、吉野に移動した一族は「吉野丹生族」として、伊勢の嬉野方面に移動した一族は「伊勢丹生族」として丹生採掘や交易をした。また四国や吉野、伊勢の丹生採掘の労役には先住「鴨族」「鴨部」と云われる部民がその任に当たった。大分豊後や紀の国の丹生採掘の労役には当地に居住していた「大伴氏族」の伴部がその任に当たった。

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海人「安曇族」 海神安曇神を祖先とする安曇族は前四世紀頃、朝鮮半島の加羅国→対馬→壱岐→九州・筑紫のルートで交易拠点を拓いて拠点港間を通常的に交易、舟運、往来していた。

 対馬の豊玉の津を拠点にする「安曇族」「豊玉彦命は島根半島を拠点にする「安曇族」「穂高見命と一体化し島根半島から糸魚川(めのおの原産地)に移動入植し、さらに糸魚川を遡上し穂高岳に降臨し、安曇野、信濃の諏訪(黒曜石の原産地)を開拓し、「穂高見命」と兄弟の「振魂命」はさらに日本海を北上し新潟へ移動、入植して阿賀野川を遡上し会津若松に降臨し、猪苗代湖盆地を開拓し、兄弟共に東北の渡来弥生人として活躍した。

 一方、本流の「安曇族」は九州筑紫の宗像を本拠とし、ここを拠点に九州一円の交易拠点港(筑紫、宇土、船津、大隅、宮崎、杵筑、国見、五島、種子島)を開拓し、さらに瀬戸内の東方ルートの開拓をし、摂津三島や紀の国沿岸、伊勢に至る交易拠点港(下関、広島、加古川、明石、神戸、大阪住之江、松阪)の開拓をした。

 これらが「安曇族」の航海の拠点港となり、住吉の荒魂「猿田彦神」又は「佐田彦神」)を祀り、航海の安全を祈ると共に航海に必要な資材や食料、水、櫂子などの補給、舟の補修、建造を行う基地、交易を行う港とした。

 「住吉の荒魂」(阿羅国人の魂の継承者)こと「猿田彦神」「佐田彦神」)は朝鮮半島の阿羅を拠点に日本列島間を往来する外洋航海をする海人「安曇族」が開拓した各拠点港に渡来弥生人が根付き「弥生文化」が花開いた。

海人「鳥取族」(「斯慮渡し族」) 海神「鳥取神」を祖先とする海人「鳥取族」は前四世紀頃、新羅国の前身斯慮(鳥取の白兎海岸で鮫に皮を剥がれた白兎の神話の由来となった「しろ」である)→隠岐島根半島鳥取のルートで渡来したが、すでに先住民(「美穂津鴨族」)が入植しており、その「鴨族」の一枝を帯同し、鳥取の千代川流域に入植、賀露津(新羅の前身辰韓の一種族「賀洛族」が入植した場所)に交易港を拓き、さらに曳田郷を開拓した。この事は古事記で鮫に皮を剥がされた白兎が「大国主」に助けられた話として登場する。

 「鳥取族」のルーツはツングース系騎馬民族で、前四世紀頃縄文時代に「額田毘道男伊許知禰」「額田部角凝魂」の祖先)が渡来し朝鮮半島から持ち込まれた鉄斧を道具にして舟造りしたり、鍛冶用の炭を作る薪木を伐ったりするのみならず、鉄斧を原料鉄として鍛冶技術を駆使して別の鉄器(馬具や鋤など)に造りかえ再利用を図り、交易品にする「鉄器文化」を伝えた。

 「鳥取族」は舟馬両使いの民族であり、その力を発揮して、さらに円山川に移動し、気比の津を拠点に豊岡、出石を開拓、さらに竹野川に移動し古代竹野湖に拠点港を拓き、四世紀~五世紀初期には一大交易拠点を築いた。さらに小浜の津を拠点にし現在の若狭街道を経て琵琶湖の今津から高島を開拓した。さらに敦賀湾に移動し敦賀の気比の津を拠点に現在の塩津街道を経て塩津の港を開拓し、琵琶湖の水路を開拓した。

 「鳥取族」が開拓した但馬や北陸の海路は、後に「神武東征」で舟運帯同した海人「安日彦族」「大日諸族」の諸=麿=彦)が「倭朝廷」との血縁関係を結び加護のもと、「物部氏」海部となり大いに活用されるが、新羅から渡来した「都奴我阿羅斯等」の入植に際して、舟運帯同して新羅人の居留地各地を訪れ入植に協力した。「都奴我阿羅斯等」が入植した各拠点に「天日矛」伝説を残す。

 [海洋民族の関係系図]

                (妃)
        |-------ー玉依姫命    (穂高岳に降臨、信濃を開拓)
        |        |      |・穂高見命
        |        |-----ー|(会津に降臨、猪苗代湖を開拓)
        |       (正妃)    |・振魂命
        |・神魂命ーーーー支佐加姫命    
安曇族の祭神)|(出雲の海神) |(島根の海神)(住吉の荒魂)
綿積神ーーーーー|        |-------ー猿田彦神ーーー海人安曇族
        |        |
        |・八島土奴美命豊玉彦命ーーーーー豊玉姫命
        |(八島津の海神) (対馬の海神) |      (山幸彦)
        |                 |ーーーーーー天火遠理命海人葛城族
        |・高木神ーーーー栳幡千千姫命   |
         (鴨族の祭神) |      |・天火明命
          大国主命   |------|(彦火火出見命)
          |      |      |・瓊瓊杵命   (海幸彦)
          |-----ー天忍穂耳命    |     |・天火照命ーー阿多隼人族
阿知族の祭神)  |               |---ー |
渡し大神ーーーーーー著玉日良姫命          |     |・天火之進命大隅隼人族
                |・阿多隼人族祖人阿多津姫命
多禰隼人族ーーーーー熊蘇隼人族ー|   +    (木花咲那姫命)
                |・大隅隼人族祖人
鳥取族の祭神)
鳥取神ーーーーーーー八島牟遅神ーーー鳥鳴海神ーーーー海人鳥取族
(新羅の海神)  (八島津の海神)        (斯盧渡し族)



          
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category: (3)国の礎を築いた海人族と渡来先住民の交わり

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tag: 海人族  隼人族  波邪隼人族  多禰隼人族  日向隼人族  斯盧渡し族  安曇渡し族  海人阿知族  海人安曇族  海人鳥取族 
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日本の国のなりたち  

(2)海人族の交易が培う古代文化

 日本列島の起源まで遡れば原人がいたのはまちがいないが、一般論として西方には南方諸島から海を渡り九州南部に渡来、入植した「熊襲」と云われる南方系の民族が定住化し、東方にはカムチャッカ半島などから海を渡り北海道、東北方面に渡来、入植し「蝦夷」と云われる北方系民族が定住化し、「縄文文化」を形成した。前一万年から前四世紀を縄文時代と云うが、神話では渡来系縄文人は高天原(天上界)から葦原中国(地上界)に降臨したとされているが、原住民系縄文人は星から地上にやって来たとされている。

 渡来系縄文人は外洋航海術を身に付け、長い距離を丸木舟で往来していた。交易品は南海諸島や中国大陸、朝鮮半島、日本列島など広域に及ぶ産物で、交易は朝鮮半島、対馬、九州北部の間で盛んに行われていた。
 
 縄文時代丸木舟B
  縄文時代に外洋往来したと思われる長さ8m、直径1m以上の丸木舟が舞鶴市浦入遺跡で出土している。

 前四世紀から三世紀までを「弥生文化」の時代と云い、中国や朝鮮半島などとの交易が盛んになり、多くの民族が九州北部に渡来、入植し、さらに東方に移住し、物や技術の交易が盛んに行われた。特にこの時代の特色は、前五世紀水稲耕作が九州北部に伝えられ、数百年程度で急速に日本の東北まで駆け抜けた。また土師技術や鋳鍛冶技術が九州北部に持ち込まれ、「日本海ルート」「瀬戸内ルート」で日本列島(大八島)の東方へ伝わった。

 渡来弥生人達は、より高度な航海技術を持ち、大型化した構造船で外洋や内海を往来した。又河川や湖沼は平底の川舟で往来した。長い距離を航海するには、途中で船のメンテナンスをしたり、新造したり、食料や水の補給、櫂子の交代などをする拠点港をつくり、さらに物資の集散や交易をする市場の機能をもつ椿市、海柘榴市、津波市などに発展する(港市)がつくられた。

 古代構造船_convert_20160731163953 湖河舟ルーツ丸木舟縮小2_convert_20160731174726
   弥生時代に外洋往来した構造船と河川・湖沼往来した平底川舟のイメージ図

 縄文時代の交易品は南方諸島からは貝輪などの「アクセサリー」や釣針、スプーン、銛など「骨角器」、日本列島の諸地域からは包丁、斧、鏃、鑿、錐、鎚、など「黒曜石製石器」、砥石、鑢など「サヌカイト製石器」、勾玉、菅玉など「ひすい製玉」、また塩、穀物、縄文 土器などの「生活財」等が主に交易された。

 弥生時代の交易の特色は縄文時代と異なり単に物だけの交易ではなく技術を伴った物の交易であった。防腐剤や識別塗料の役割をもつ「丹土」や金、銀の精錬、鍍金を行うための「水銀」や銅鐸、銅鏡を製造するための銅剣、銅矛、銅戈などの「原料青銅」や鉄剣、馬具、農具などを製造するための鉄斧、鉄鋋、鉄ドリルなどの「原料鉄」や砥石、石槌などをつくる「原石」やメノウ、水晶、碧玉などの「玉造用原石」や製鉄用触媒、漆喰用の素材としての「石灰石」や窯、鋳型を造る素材としての「耐火土」や埴輪、須恵器をつくるための「赤土、白土」や製陶、精錬の窯焚きに必要な「薪炭」や冠飾り、馬具飾りなどに使う「金銀素材」など、その他「銅鐸」「銅鏡」「鉄剣」「鎧」「馬具」「農具」「須恵器」「土師器」「巨石」「巨木」「穀物」「塩」「麻縄」や麻、絹、綿などの「布素材」や鮑、鯛、鮎、岩魚、鮭、など「海鮮」「干物」や桃、栗、栃、胡桃などの「果実」「漆」「椿油」「梅酢」「柘榴酢」「葛」等々多岐に亘る。


      

category: (2)海人族の交易が培う古代文化

thread: 歴史 - janre: 学問・文化・芸術

tag: 古代文化  交易品  縄文時代  弥生時代  縄文文化  弥生文化  渡来縄文人  渡来弥生人  原住民系縄文人  渡来系縄文人 
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日本の国のなりたち  

(1)海洋国家日本のあけぼの
    ー三つの東拓ルートー

 洋の東西を問わず大陸、半島、諸島との海洋往来で交易をし、さらに交易先や海洋ルートの開拓、建国、統治に導いたのは海洋民族であると云うのは紛れもない事実である。海を支配することで国が始まる。

 神話では、現在の皇祖神とされる「瓊瓊杵命」の妃は綿積神の娘「木花開耶姫」であり、その子の「彦火火手見命」の妃は綿積神の娘「豊玉姫」(対馬の豊玉出身の海人)であり、その子の「鵜葦草葺不合命」「豊玉姫」の妹「玉依姫」と結ばれ、生まれた子が「神武天皇」である。初代天皇の母も祖母も曽祖母も祖先代々海神綿積大神の娘である。

天忍穂耳命ーー瓊瓊杵命
         |ーーーーーー彦火火手見命
海神阿知族ーー木花開耶姫     |ーーーーーー鵜葦草葺不合命
海神安曇族ーーーーーーーーーー|豊玉姫      |ーーーーーーー神武天皇
               |ーーーーーーー 玉依姫

 神話では海を支配することで国が始まる真実を伝えている。国の始まりから日本は海洋国家なのである。

 前一万年~五世紀頃、対馬の豊玉の津を拠点として朝鮮半島の韓国(からくに)と九州北端の筑紫の間で海洋を往来し交易をする民族がいた。前三世紀(縄文晩期)~三世紀頃(弥生後期)頃に一部は朝鮮半島の韓に入植し倭(任那の日本府)を設置、韓は馬韓や辰韓に発展し、さらに五世紀(古墳時代)頃、倭は加羅国を、馬韓は百済国を、辰韓は新羅国を建国した。またその一枝は筑紫国を建国した。

 九州北部に入植した海洋民族は九州一円を開拓し、さらに日本の東方を開拓することから日本の国が始まった。日本の東方開拓ルートは三つのルートから成る。

 東拓ルート図縮小3_convert_20160730182810
       3系統の東拓ルート図

加羅国から筑紫国間の交易ルートで、博多を拠点として日本列島の北側沿岸を東進する「日本海ルート」である。
瀬戸内海を東進し、大三島に中間点を置いて、さらに島々や沿岸を拠点化し東進する「瀬戸内海ルート」である。
九州から四国さらに紀伊半島を横断する「中央構造線断層帯」を海と陸を跨いで東進する「中央構造線断層帯ルート」である。

 なぜ海洋民族は東方の開拓を目指したのか?
マルコポーロが東方を目指した如く、日の出る方向に向えば何かがある。未知の世界が腕を伸ばせばそこにある。洋の東西を問わず“開拓者魂”が向わせた!

 海洋民族の祖先達は何代にも亘って資源開拓地を求め、安心して活動が出来る拠点地を求め東方へ東方へと進んだ。「未知の明かり」を目指して東方にたどりついた海洋民族達が“実り”を手にするまで幾多の辛苦をも乗り越えて掴んだであろう事は想像に難い。「因幡の白兎伝説」や「浦島伝説」や「鶴の恩返し伝説」など海人にまつわる多くの伝説があるが、難破や漂着した海人や渡来人が現地人に助けられて、恩返しをしたと云う事が語られており、海人達が苦難を経て喜びを勝ち得た事が神話でも伝えられている。

  生活の基本財や権力を表象する宝物などを獲得するために新天地を開拓し、資源開拓、確保する拠点をつくり、根を下ろし、根を張りながら富と権力を築いていく。古代の海や大地は手付かずの未知の希望に満ちた未開地であるが、誰も手をつけていない真新な世界に一人立った時の感動はどんなにすばらしいものか?その感動を感じ取れる者だけが競って東拓をした。
 
 「日本海ルート」を拓いたのは対馬を拠点とし、外洋船を操り、綿積神を祖神とする海人「安曇族」「大国主命」を祖神とし、土づくりや土建や農耕を得意とする「鴨族」が行動を共にした。筑紫を経て出雲に入植し、そこを拠点に子孫は日本海沿岸の各地を開拓、拠点化した。

 「瀬戸内海ルート」を拓いたのは九州北部や九州沿岸に拠点をもち、内海や沿岸、河川、河沼を航海する海人「阿知族」「天忍穂耳命」の子孫達で海人「安曇族」と一体化し、九州北部を出発し大三島を航海の拠点とし、「鴨族」を帯同し筑紫から摂津三島に至る瀬戸内海水系を開拓、支配した。「天忍穂耳命」の子孫は大三島から摂津三島に至る水系を開拓、摂津三島に降臨し淀川水系を支配した。

 「中央構造線断層帯ルート」(丹の道ルート)を拓いたのは海人「阿多隼人族」と行動を共にした「鴨族」の事代主(家督相続主)と異母兄弟の「味耜高彦根命」で九州南部曽於船津から東回りで大分経由、瀬戸内海に至り、大三島の拠点を経て四国伊予に入り吉野川を下り、紀伊水道に出て淡路島を経て紀の国に渡り、紀ノ川を遡上し葛城に至る「中央構造線断層帯」に沿う「丹の道」を開拓し、葛城の地に降臨した。時は縄文晩期で狩猟、採取、焼畑耕作の生活をしていた。
 
「味耜高彦根命」の子孫の「阿知鴨族」(海人「阿知族」「鴨族」)は葛城の地を開拓して「葛城鴨氏」の祖として渡来先住民となる。

 瀬戸内水系を開拓支配した「天忍穂耳命」の子で「瓊瓊杵命」と異母兄弟である「天火明命」「大分丹生族」を帯同して「中央構造線断層帯」「丹の道」)を開拓支配した。続いて子の「天火遠理命」(天尾張命・山幸彦)も「丹の道」を開拓、紀ノ川を遡上し葛城の高尾張に降臨し、子孫は「倭朝廷」と結びつき、加護を受け後々「朝廷」の海部として海洋日本の大きな役割を担うことになる。

 瀬戸内水系、淀川水系を支配した「瓊瓊杵命」の子の「天火照命」(海幸彦)は大三島を拠点に瀬戸内水系を支配、子の「天日方奇日方命」(鰐彦)は「神武東征」八咫烏の役割を担い、その功績により「倭朝廷」から「加茂氏」の称号を賜り、紀の国の太田鴨地の一部(吉備湾、日方湾の地)と紀ノ川の水利権と紀の国沿岸の制海権を賜る。

 「天火照命」と兄弟で大三島から摂津三島に至る瀬戸内水系と淀川水系を支配した「天火須勢理命」「大隅隼人」の祖で、子の「椎根津彦命」「神武東征」の水先案内をし、「倭朝廷」から「倭氏」の称号を賜り、淀川水系と河内湖(茅渟海)、大和川水系の水利権を賜り、支配した。




            

category: (1)海洋国家日本のあけぼの

tag: 海洋民族  海洋国家  東方開拓ルート  東拓ルート  海洋交易ルート  海洋ルート  日本海ルート  瀬戸内海ルート  中央構造線断層帯ルート  丹の道ルート 
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はじめに  

                     は じめに  

 「記紀」が発する「神話」は果たして真実を伝えているのか?、真意が正しく解釈されて来たのだろうか?と云う疑問を持った瞬間から「古代史好々彦」の謎解き旅が始まった。徒然に集めた情報と想い草を束ねてみました。

 この徒然草(論考)は国の始まる以前、つまり紀元前・縄文時代から国家統一がなされる崇神朝までの「神代」を対象として、海洋民族が他民族と交わり新しい文化を形成し技術立国を成す過程を検証し、「国のなりたち」を解き明かそうとするものであります。

 また、つれづれの想いの中でうんざりした事は「神武東征」に始まる国土開拓史において“戦(いくさ)による国づくり史観”が古代史研究の主流となっている事であります。
三~四世紀以降のヤマト国家統一に於いて“いくさ”による統合がなされた事実もあるが、「神代」の世界を垣間見ると、水田耕作や新しい外来技術・文化を伝受し、共に国土開拓をすると云う“争い”でなく“共生”する文化が国づくりの原動力となっていたり、また権力が原住民の土地に入り、力づくで領有するのではなく、懐柔し原住民の力を借りて共に開拓を進めると云う場面なども見られ、決して“いくさ”によって国づくりが行われた訳ではない事がよく解る。

 “いくさ場面にスポットを当てる国づくり史観”は歴史の真実を隠してしまう。もっと異分野からの視点を集め、視野を広げ新しい提案をすれば閉塞感のある古代史観はきっと変わる!

                                                                             2016.02.20  古代史好々彦 拝


            

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