好々彦の神代文化考

神話と系譜と足跡を元に”古代人の生き様”を読み解き、新しい古代史の視点を提案する。きっとあなたの古代史観が変わる!                                                              

天照大神」の奉斎と大和国家の統一  

(2)鴨王国「吉備国」の国譲り

(2)・1 農耕・製塩王国から製鉄王国へ

 縄文時代~弥生時代初期の「吉備王国」は先住弥生人「鴨族」と海人「大隅隼人族」が居留し、製塩や陸稲(粟や稗)耕作を営む広大な地域に亘る「鴨王国」であった。「鴨王国」は吉備や淡路島や四国の阿波を含む「鴨族」や「大隅隼人族」が居留する国である。

 海人「大隅隼人族」「椎根津彦命」「神武東征」「吉備国」高島から摂津三島江に至る水先案内をして、その功績により「倭氏」の姓を賜り、「吉備国」から三島江に至る「瀬戸内海ルート」制海権淀川渟名川)、河内湖茅渟海)、大和川倭川)の水利権を賜り、「朝廷」の加護の下「倭国」から「吉備国」に至る交易ルートを確固たるものにした。「倭氏」は代々「大王家」を送り込み、大きな利権を得ながら交易地方開拓「国造り」を拡大して来た。

 二世紀~三世紀頃、山師族の「大田田根子命」が率いて「紀伊国」に入植した新羅系民族の「鋳鍛冶族」が鉄素材を求めて、「大伴氏族」伴部を連れて「摂津国」、「播磨国」、「吉備国」、「讃岐国」、「伊予国」に入植し、当地に居住する「鴨族」鴨部を従属させ、瀬戸内諸国を開拓、発展させ、新しい「製鉄文化」や「土師文化」を根付かせた。

 「倭朝廷」は瀬戸内諸国に根付いて強大化していく地方豪族を取込み支配するために重臣の「倭氏」や「物部氏」を「吉備国」、「播磨国」、「伊予国」、「讃岐国」など諸国に派遣し、「御食国」化を図った。元々「吉備国」は製塩や陸稲耕作を営む先住弥生人の「鴨族」や「大隅隼人族」が居留する国であったが、突如として「製鉄民族」や「倭朝廷」が支配する国と化した。

(2)・2 桃太郎伝説の真実

 三世紀頃、「倭朝廷」は七代「孝霊大王」の王子「五十狭芹彦命」と腹違いの兄弟「稚武彦命」を「吉備国」に送り込み吉備臣に任命し、「吉備国」を統治させた。その後「稚武彦命」は「伊予国」を統治するに至る。それぞれの国を掌握管理し支配する豪族として君臨する事になる。「吉備国」を統治する「五十狭芹彦命」は初代「吉備津彦命」(吉備を支配する統治者)を拝命し、「伊予国」を統治する「稚武彦命」は「伊予津彦命」を拝命した。

 「五十狭芹彦命」の子孫はを結ぶ(による海上輸送による陸上輸送を繋ぐ)交易ルートを拓いた「日下部氏」を輩出し、「稚武彦命」の子「友耳建彦命」は造墓集団の「吉備大伴氏」となり、また十一代「垂仁大王」の代に「稚武彦命」の三代孫の「若建吉備津彦命」播磨国主となり、その娘「稲日王郎女」(いないおうのいらつめ)は景行妃となり「日本武尊」東北道征伐大将軍)を生む。「稚武彦命」の弟「彦狭島命」の子「越智王子」瀬戸内の要港を仕切る「伊予水軍」軍主となった。この様に「吉備国」に派遣された王統一族は「吉備国」の豪族となって瀬戸内諸国に君臨した。

 以上の事から「桃太郎伝説」の中から真実が見えて来る。鬼ヶ島で鬼退治した「桃太郎」は「吉備津彦命」であり、吉備団子を貰って家来となった「犬」は「物部氏」の系属「日下部氏」配下の「和気(別)部」(犬を自称し鉱石を探索する部民)で、「猿」は「倭氏」配下の吉備地方の先住弥生人「大隅隼人族」(祖神は猿田彦神)で、「雉」は吉備地方の先住弥生人「鴨族」「鴨部」(雉も鴨も山鳥で同じ山仕事をする部民)である。「鬼」は吉備に入植した「製鉄民族」であり、根城とした「鬼ヶ島」は「鬼之城」である事を伝説は物語っている。

(2)・3 温羅の正体

 神話として「桃太郎伝説」を生んだ備中一ノ宮である吉備津神社「吉備津宮縁起」温羅伝説が伝承されているが、その内容は十代「崇神大王」の頃、異国の鬼神が渡来して来た。その名は「温羅」と称し、元は百済の王子であった。鬼之城に居留し、吉備の国人を苦しめたので人々は「大和朝廷」に討伐を要請する。「朝廷」は七代「孝霊大王」の王子「五十狭芹彦命」を派遣する。

 「王子」吉備の山中に陣を敷いて対戦し、激闘が繰り広げられたが「温羅」は遂に捕らえられ、『「吉備津彦命」に相応しいのは貴方様である』と降参し、「王子」に国譲りをしたが、誅殺された。その首は吉備津神社の釜殿の地下に埋められたが、十三年間も釜鳴が止まなかった。「温羅」の霊を鎮める為の鳴釜神事が行われる様になったと云う。鳴釜神事発祥の由来や鳴釜神事に使われるは代々当地の「鋳物師」によるものである事や鬼之城を中心に広がる奥坂郷や「温羅」の妻の郷であるとされる阿曾郷一帯は「製鉄民族」の拠点で古代製鉄跡が多く発掘されている。

 以上の事から「温羅」は吉備に入植した「製鉄民族」であった事が伺える。また新しい「製鉄技術」「文化」を持ち込んで、当地を開拓し地盤を築いた地方豪族の「朝廷」に対する抵抗が激しかった事が伺える。

 「五十狭芹彦命」吉備に派遣された時は未だ「天日矛族」吉備に入植しておらず、九代「開化大王」の代になって渡来入植した。では、七代「孝霊大王」の代以前に入植した百済の「製鉄民族」は何者か?それは二世紀頃、鉄山師「大田田根子命」が「筑紫国」基肄から「紀の国」へ連れて来た新羅系民族の鋳鍛冶技術工人集団「別雷神」の子孫「額田部湯坐命」であろう。この鋳鍛冶技術工人達「紀の国」で鉄資源が枯渇すると新しい採取地を求めて、摂津や播磨や吉備地方にも移入した。

 温羅伝説では「温羅」誅殺されたとされているが、「吉備国」「製鉄技術」をもたらして繫栄させた功労者で、「朝廷」にとって重要な役割を担った存在であったため、「吉備津彦命」誅殺したのではなく懐柔したと考えることが自然である。

 また、「丹波国」にも温羅伝説と全く同じ筋書の大江山鬼伝説がある。大江山の「鬼」とは「製鉄民族」であり、海人「鳥取族」に帯同して丹波の若狭地方(大江山の麓に位置する竹野川流域や由良川流域の地)に入植した「丹波由碁理」一族である。「丹波道主命」として派遣された「開化大王」王子「彦坐王」大江山とされる「陸耳御笠」を配下にする「由碁理」一族と婚姻関係を結び配下に治めたのである。「由碁理」の孫娘の「丹波河上姫」川上麻須郎女)が「彦坐王」となり、孫の「丹波大倉岐命」「丹波国造」を拝命し、子の「川上出石別命」の三代孫「船穂足尼命」「但馬国造」を拝命した。

(2)・4 鉄資源の宝庫ー吉備、播磨、丹波地方

「吉備国」や「播磨国」や「丹波国」は鉄資源を豊富に産する国であった。中国山地比婆山・道後山や山陰の大山などの旧火山帯で形成された火成岩花崗岩が風化して流れ出した「砂鉄」が「吉備高原」に堆積して、「砂鉄」の一大産地となった。また、大山から流れ出した「砂鉄」が「津山盆地」に堆積して、「砂鉄」の一大産地となった。また、播磨→三木→「津山盆地」に至る中国山地を縦貫する「大断層帯」は「鉄鉱石」の一大産地となった。

 丹波山地を構成する大江山、赤石岳床尾山、鉄鈷山、田倉山宝山ー京都府唯一の火山)や粟鹿山砂鉄山)などの火成岩が風化して由良川や円山川やその支流の出石川に流れ出して堆積した「砂鉄」、さらに丹波山地を縦貫する「三岳山断層」や「養父断層」に沿って鉱脈露出した「鉄鉱石」など良質な鉄素材の一大産地となった。

(2)・5 山陽道や丹波道は「鉄の道」
 三世紀~四世紀頃、新しい「鉱精錬技術」を持って新羅国から渡来した「天日矛族」(製鉄技術集団の「都奴我阿羅斯等」、鉱採掘技術集団の「額田部筑箪」、製銅技術集団の「額田部大加賀美」、水銀精錬族の「息長水依姫」など)が海人「安日彦族」に帯同して鉱資源を求めて、山陽道や丹波道の諸地域に入植した。海人「安日彦族」「朝廷」の要職を務める「物部氏」「海部」を務める事から、「物部氏」が「天日矛族」の入植地を斡旋し、開拓を支援したと考える「天日矛族」「物部氏」に従属して移動した「鉱精錬技術工人集団」であると云える。

 斡旋した地域の一つは、二世紀頃に鉄山師「大田田根子命」が「紀伊国」に連れて来た元祖「鋳鍛冶族」とも云うべき「雷族」が新たに鉄資源を求めて移住した吉備地方や播磨地方である。もう一つは「紀伊国」に渡来した「雷族」と「葛城・猪名部族」が一体となって新しい製鉄開拓をすべく「朝廷」から派遣され、移住した「伊賀国」や「淡海国」である。

 さらに、二世紀頃に若狭湾岸楕円構造断層帯に産する水銀鉱脈を開拓、入手する為に「朝廷」から派遣され移住した「吉野丹生水銀族」と「天村雲命」一族が居留した若狭地方であり、前三~二世紀頃に鳥取地方に渡来入植した新羅の「鳥取族」系「鬼族」(鍛冶族)が居留した丹波地方である。

 「倭朝廷」は、それぞれの「鬼族」が開拓した諸国の居留地、吉備・播磨地方や伊賀・淡海地方や若狭・丹波地方に「物部氏」をして次々と斡旋入植させ、新しい「製鉄技術」の導入を図った。

 「物部氏」の斡旋により、「天日矛族」鉱資源を求めて山陽道丹波道の各地に入植し鉱採掘鉱精錬を行ったが、掘削道具や掘削機が未発達な古代に於いては地下の鉱脈を探索し掘削するのは難しく、火山性溶岩が風化して岩石や砂状になって河川に流れ出して堆積した鉱石や鉱砂を採取する方法か、又は「断層帯」や「地溝帯」に露出した鉱脈から鉱石を採取する方法が最も合理的な方法であったと考える。

(2)・6 三つのルートで開拓された「鉄の道」

 筑紫基肄に渡来した「天日矛族」瀬戸内海を東進して吉備播磨摂津にやって来た。この瀬戸内吉備播磨摂津を起点とする「三つのルート」から製鉄開拓が行われた。

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                  天日矛族の入植ルート図

天日矛族入植ルート①
 《吉備→比婆・道後・船通山→出雲》
 《吉備→大山》
 《吉備→津山盆地》

 「天日矛族」の一枝は吉備国主「五十狭芹彦命」(初代「吉備津彦命」「吉備国」の統治者の意)が支配する「吉備国」に入植した。比婆山や道後山など旧火山帯や断層帯で形成された火成岩や花崗岩が風化して河川に流出し、河口や盆地などに流入堆積した砂鉄などの鉄素材を求めたルートである。比婆山道後山を源流とする高梁川大山を源流とする旭川などが注ぎ、また大山「奈岐山断層帯」「砂鉄」が流入堆積した広大な「津山盆地」を源流とする吉井川が注ぎ「砂鉄」が流入堆積した「吉備高原」と云う広大な産鉄地がルート①の入植地である。

 それぞれの河川を遡上し製鉄工房を設け「砂鉄」採取精錬をした。高梁川流域では上流の「神郷」「新見」に、また中流域の「高梁」に、旭川流域では上流域の「新庄」「八束」「真庭」に、また中流域の「建部」「御津」「赤坂」「瀬戸」に、吉井川流域では「津山盆地」「津山」「勝央」「美作」に、中流域では「和気」に、下流域には「長船」製錬鍛冶の拠点を置いた。また「鏡野」「久米」「日下部氏」で重量物の運搬を司る氏族)の居留地であり、「佐伯」「和気」採取部民の居留地であった。また「加茂」「鴨族」鴨部の居留地であった。

 中国山地花崗岩「山陰花崗岩」「山陽花崗岩」に区分されるが、「山陰花崗岩」は磁鉄鉱を多く含み純度が高い「砂鉄」で、山陽花崗岩磁鉄鉱の含有が少なく真砂砂鉄と云う純度が低い「砂鉄」で、当然純度が高い「砂鉄」を求めて山陰側に向かって開拓が進められた。

 高梁川旭川の上流を遡上し、純度が高い「砂鉄」を求めて船通山比婆山道後山の一帯の「砂鉄」採取製錬を行う製鉄工房を開拓した。さらに斐伊川を下り船通山山麓の「印賀」「横田」では「たたら製鉄」が盛んに行われ、中流の「奥出雲」では江戸時代にかけて盛んに「たたら製鉄」が行われた製鉄工房の拠点であった。吉備から出雲古志に至る「吉備→出雲」ルートやその枝ルートで日本の「製鉄文化」を代表する「たたら製鉄」が確立された。

天日矛族入植ルート②
 《播磨→三木→奈義→津山盆地》

 「天日矛族」の一枝は播磨国主「稚武彦命」が支配する「播磨国」に入植した。播磨→三木に走る「草谷断層」三木→山崎→奈義に走る「山崎断層帯」、奈義→津山に走る「奈岐山断層」に至る中国山地を縦貫する「断層帯」に沿って鉄鉱石など鉄素材を採掘し、「製鉄工房拠点」を開拓した。この中国山地を縦貫する断層帯と中国山地を源流として瀬戸内海に注ぐ河川と交差する近辺に「製鉄工房拠点」が設置された。

 高砂港に注ぐ加古川との交点付近に「小野」姫路港に注ぐ市川との交差点付近に「福崎」御津に注ぐ揖保川との交点付近に「宍粟」赤穂港に注ぐ千種川との交点付近に「粟倉」「作用」、児島湾に注ぐ吉井川との交点付近に「津山盆地」「鏡野」「津山」「勝中」「美作」などに「製鉄工房拠点」が置かれ「製鉄の郷」として発展した。

 製鉄工房で造られた原料鉄製品鉄交易朝貢のために河口の「拠点港」に集積され、目的地まで海運で届けられた。「製鉄工房拠点」から最寄りの河川港までの陸運は「日下部氏族」が馬による陸運をした可能性がある。

 これは「五十狭芹彦命」の子孫に「日下部氏」を輩出しているからである。「日下部氏」のルーツは前二世紀頃、ツングース系の渡来人「日下部馬津久流久美」が九州の阿蘇から「倭国」平群に入植し、娘の「阿野姫」「物部氏」海部の祖「味饒田命」に嫁いで、子の「神日子命」「阿刀部」によって舟運から陸運への橋渡し役をした部民)を率いて「物部氏」海部を代々務めた氏族である。「阿刀部」「日下部馬津久流久美」の子孫であり、「日下部氏」「阿刀部」を配下にして「物部氏」海部を務めた氏族ではなかろうか。

 「日下部氏」の一枝が吉備に入植し「五十狭芹彦命」の子孫と結ばれ「吉備日下部氏」となった可能性がある。「吉備日下部氏」別部(わけべ、和気部とも云う)と云う鉄鉱石を採掘する部民を率いて、「津山盆地」に集積した「砂鉄」採取運搬中国山地を横断する「断層帯」鉄素材採掘運搬精錬に必要なを作るの引き下ろしなどを駆使する運搬役を司り、「久米」「鏡野」を本拠地とした。「鏡野」に居留した「日下部氏」「作用姫」は十二代「景行大王」の九州「肥の国」巡幸に随行したとある。

天日矛族入植ルート③
 《淡海三上山→若狭青葉山→丹波大江山→出石》

 「天日矛族」の一枝は大阪湾から淀川を遡上し琵琶湖に出でて、「物部氏」五代当主「大水口宿禰命」が支配する近江富士と云われる三上山(鋳鍛冶族の聖地)を目指した。さらに若狭湾に出でて、若狭国主「建田勢命」が支配する若狭富士と云われる青葉山(丹生水銀族の聖地)を目指した。さらに丹後竹野川流域を拠点とした「由碁理」一族(大江山の鬼族)が支配する鬼伝説地大江山を目指した。

 三上山を目指して渡来した「天日矛族」一行の「額田部大加賀美命」一族は野洲川下流域の草津穴村穴村阿羅神社「天日矛」祭神として祀られている)に入植し、日野川中流域にある蒲生の地に「天照大神」「御魂代」としての「神鏡」を鋳造した「鋳物師の里」を拓いた。

 青葉山を目指して渡来した「天日矛族」一行の「息長水依姫」一族は穴村を後にして琵琶湖を北上して塩津→敦賀気比を経て若狭湾に出でて東舞鶴行永に入植し、「若狭湾岸楕円構造断層帯」水銀鉱脈の開拓をし、金銀などの「鉱精錬技術」を伝播し、行永倉梯山聖地とした。

 余談になるが、「息長水依姫命」は九代「開化大王」王子で初代「丹波道主命」として「丹波国」に派遣された「彦坐王」となり、「丹生水銀族」「朝廷」の支配下に入り、この時から「若狭国」「倭朝廷」「御食国」となった。

 大江山を目指して渡来した「天日矛族」一行の「都奴我阿羅斯等」一族は由良川を遡上し、大江山を北西に臨む中流域にある「阿良須」(現大江町)に「砂鉄」「鉄鉱石」採取採掘する「一大拠点」を置いた。

 鉄資源を採取、採掘する拠点づくりは丹波山地を時計回りで周回する様に由良川及び支流、円山川の上流域、円山川の下流域で分流する出石川に沿って展開された。「阿良須」を起点に由良川支流の牧川源流と円山川源流との分水嶺にある「額田」に、円山川の上流域の「朝来」に、さらに下って「養父」に、さらに下り、「豊岡盆地」で分岐する出石川を遡上し赤石岳の西麓にある「奥赤」などに拠点を置いて良質な「砂鉄」採取を行った。最終的に出石川「豊岡盆地」に注ぐ「出石」の地を最終拠点とし、「天日矛族」の子孫は出石神社を建立し祖先を祀り、「天日矛族」聖地とした。

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(2)・9 「鉄」を制した「大和国家」

吉備の鬼退治と丹波の鬼退治
 「砂鉄」や「鉄鉱石」などを多く産する吉備地方には「製鉄民族」が何代にも亘って波状的に渡来した。古くは、前三~二世紀頃、新羅系民族の海人「鳥取族」に帯同して鳥取曳田郷に入植した「鍛冶技術」をもつ「額田部」祖人が、新たに鉄素材鍛冶技術を求めて「津山盆地」を経由して「吉備高原」まで南下し入植した可能性がある。また二世紀頃、「紀伊国」に入植した新羅系民族鋳鍛冶工人「額田部湯坐命」一族が「吉備国」に移住している。

 四世紀頃には、新しい「製鉄技術」を持った新羅系民族「天日矛族」「吉備国」に入植した。吉備地方に入植した民族や時代が錯綜して混然一体化している。いずれにせよ「吉備王国」は「製鉄民族」によって築かれた王国であることには違いない。

 同様に「砂鉄」や「鉄鉱石」などを多く産する丹波地方にも「製鉄民族」が古くから渡来した。前三~二世紀頃、「鳥取族」に帯同して鳥取の曳田郷に入植した「額田部」の祖人の子孫の「由碁理」が山陰沿岸を東拓しながら丹後半島の竹野川流域に入植した。「由碁理」湯凝り鉄塊を溶かして鎚打ち製品鉄を作る鍛冶屋)は鉱採取部民「陸耳御笠」大江山に比定される)を率いて竹野川流域の鳥取郷を拠点に丹後山地「断層帯」に露出する「鉄鉱石」採掘製鉄を行った。

 さらに阿蘇の海天橋立のある湾)から野田川流域の与謝野加悦を拠点に丹後山地を縦貫する「断層帯」「鉄鉱石」採掘製鉄を行い、また由良川流域の大江町阿良須を拠点に大江山三岳山から流れる「砂鉄」三岳山から流れる「砂鉄」「三岳山断層帯」「鉄鉱石」採掘製鉄を行った。

 四世紀頃、新しい「製鉄技術」を持った新羅系民族「天日矛族」の「都奴我阿羅斯等」が円山川流域の豊岡盆地の出石に入植した。丹波地方吉備地方に劣らぬ「製鉄王国」であった。

 この様にして、九代「開化大王」の時に、新しい「製鉄技術」や「製鉄文化」を持った新羅系製鉄民族の「天日矛族」(「都奴我阿羅斯等」、「額田部筑箪」、「額田部大加賀美」、「息長水依姫」など)が「吉備国」や「播磨国」や「丹波国」に「製鉄文化」をもたらした。

 十代「崇神大王」の勅命により「稚武彦命」の孫「吉備建彦命」は山陽道を平定し、二代「吉備津彦命」(吉備国の統治者の意)を賜った。「吉備津彦命」子孫代々は「吉備国」を掌握し「吉備国造」「吉備氏」へとつながった。難攻不落の「吉備国」は六代の「大王」に亘って「大和国家」への併合が成し遂げられた。

 一方「丹波国」に於いて、「開化大王」は王子「彦坐王」を丹波地方に派遣し大江山の鬼(渡来原住民の「陸耳御笠」)を退治し、丹波地方を支配下に治めた。「開化大王」丹波大県主「由碁理」の娘「竹野姫」を娶り配下に治めて、若狭地方若狭郡与謝郡に分割し、与謝郡竹野に屯倉(元伊勢外宮・与謝宮に比定)を置いて「朝廷」の「御食国」とした。

 「開化大王」の王子「彦坐王」「丹波道主命」として「丹波国」に派遣され、「竹野姫」の兄「丹波川上麻須命」の娘「丹波川上麻須郎女」丹波河上姫)を娶り、孫の「丹波大倉岐命」「丹波国造」を賜った。

 この様に、「彦坐王」は「丹波国」を支配下に治め、「由碁理」の配下にあった「陸耳御笠」を「都奴我阿羅斯等」の配下に入れ、また「由碁理」と同族の海人「鳥取族」を、若狭湾を仕切る海人豪族「建田勢命」の配下に入れ、外洋航海術大型丸木舟を造る技術を手中にした。また東舞鶴の行永に入植した「天日矛族」の「息長水依姫」を娶り、「丹生水銀族」を「朝廷」の配下に治めた。

丹波、尾張を切り拓いた海人「葛城族」(「天村雲命」一族)
 前三~二世紀頃、海人「鳥取族」に帯同して渡来した新羅系民族「鋳鍛冶族」たちが席巻する「但馬国」を「御食国」として支配下に治めるために、「朝廷」から派遣された海人「天村雲命」と「吉野丹生族」の首「伊氷鹿」は若狭青葉山に降臨した。それぞれの子孫「御蔭命」「井光姫」が結ばれ「笠水彦命」を儲け若狭の豪族として若狭志楽郷に居留した。「御蔭命」「朝廷」の大臣「倭宿禰命」を賜り子孫代々は若狭地方を統括する立場になった。「御蔭命」の三代孫「建田勢命」は「若狭国造」を賜り、「若狭国」は水銀など朝貢物を献納する「御食国」となった。

 九代「開化大王」の代に、若狭湾青葉山麓にある志楽郷を拠点とする若狭の豪族「建田勢命」は「丹波国造」を賜り、「丹生水銀族」を掌握管理し、若狭の屯倉(元伊勢根本宮・籠神社に比定)の運営を命じられた。さらに「海部氏」を賜り、貢納物を「丹波国」から「倭国」まで舟運貢納する役を命じられ、「山城国」久世郡水主村に拠点を移した。水主村から「朝廷」屯倉までの収納は「倭得玉彦命」山代国造)が担った。因みに「朝廷」屯倉の運営を行ったのは大臣「中臣氏」である。

 十代「崇神大王」は、「山城国」水主村に移住した「建田勢命」の後釜として「丹波国」に赴任した「建多乎利命」の娘「尾張大海姫」を娶り王子「八坂入彦命」を儲け、竹野川中流の弥栄(やさか)に配置し、与謝郡に置いた屯倉の運営を任せて、大臣「物部氏」が丹波の「御食国」の管理を行った。以降「丹波国」は完全に「倭朝廷」の属国となった。

 「建多乎利命」の孫「乎止与命」は、彦根稲部から尾張員弁(いなべ)に進出した「尾張大印岐」(尾張員弁氏の祖)の娘を娶り「建稲種命」を儲け、員弁郡の隣の海部郡に拠点を定めた。「尾張連」と「尾張海部氏」を賜り「尾張氏」の祖となった。鉄器や武器製造朝貢交易の舟運を担い、また「倭猛命」(日本武尊)東征海部を担った。子孫は「建稲種命」熱田神宮祭神として祀った。

「吉備国」と「丹波国」の因縁
  十一代「垂仁大王」の代に「稚武彦命」吉備臣)の三代孫の「若建吉備津彦命」吉備臣)は「播磨国主」となり、「播磨国」に入植した「製鉄技術集団」を支配する様になった。一方「但馬国」に入植した「製鉄技術集団」「但馬国主」(二代目「丹波道主命」「彦宇斯王」の義兄「川上出石別命」の三代孫「船穂足尼命」)が支配した。「播磨国主」と「但馬国主」の祖先は共に七代「孝霊大王」である。

 「孝霊大王」の正妃「和珥氏」系の「細姫命」の係累の六代孫「船穂足尼命」「但馬国主」を務め、外妃「土師氏」系の「蝿伊呂杼命」の係累の四代孫「若建吉備津彦命」「播磨国主」を務めた。「但馬国」と「吉備国」は共に「製鉄開拓」ルートとして繋がったが、支配者の血統に於いても深い繋がりがあった。

 十代「崇神大王」の代に「倭朝廷」は日本の諸国の統合を始めたが、「製鉄民族」によって築かれた諸国の抵抗は大きく難攻したが、「鉄」を制した事により「大和国家」が実現したと言っても過言ではない。十五代「応神大王」の代には諸国併合がほゞ完了した。

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 [系譜から見る丹波・尾張を切り拓いた海人「天村雲命」一族]                 
 [系譜から見る製鉄の国「但馬国」と「吉備国」の成り立ち]
 [余談編 1阿蘇について 2キイについて]



 
・・続き・・

(2)・7 「製鉄文化」を伝播した山陽横断道

 神話や伝説以外の史料に見られる最古の東西縦貫道として播磨美作を結ぶ「美作駅路」駅馬車道)がある。「美作駅路」は律令制度によって定められたものである事から飛鳥時代以降に存在していたと考えられる。その起源となるものが古墳時代前期に「天日矛族」が「製鉄開拓」を行った中国山地を縦貫する「大断層帯」であると考える。播磨→三木に至る「草谷断層」、及び三木から美作、奈義に至る「山崎断層帯」、及び美作奈義から「津山盆地」に至る「奈岐山断層」に沿って「鉄鉱石」採掘が行われたが、馬で鉄鉱石などの運搬をしていたとすれば、製鉄開拓が行われた中国山地を縦貫する断層帯「鉄の道」が「美作駅路」のルーツであった可能性がある。

 三木から「津山盆地」に至る中国山地を縦貫する「大断層帯」と中国山地より瀬戸内海に注ぐ五大主要河川(加古川、市川、揖保川、千種川、吉井川)との交点付近に「製鉄工房拠点」が置かれ、造られた原料鉄製品鉄は舟運で河川を下って河口の港に送られ、鉄の生産地と交易港が直結し発展した。河川は非常に重要な役割を果たす交通機関であり、五大主要河川は「鉄の道」を形成した。

(2)・8 「製鉄文化」を伝播した陰陽縦断道

 中国山地と瀬戸内をつないだ「縦の道」である主要河川の発達は、さらに山陰の豊富で高品質な砂鉄や鉄鉱石など鉄素材の開拓を呼び、瀬戸内に注ぐ河川と日本海に注ぐ河川をつなぐ「陰陽連絡路」を開拓し、山陰地方の製鉄開拓に拍車がかかった。「鉄の道」中国山地を南から北に横断して、山陰山陽が結ばれて古代第二次「文明開化」第一次「文明開化」は神武代の「水稲耕作文明」)をもたらした。

 古代陰陽道は時代を経ると共に性格を強め主要道として発展した。古代陰陽道の起源となったのは次の「鉄の道」であった。
 ・高梁川から比婆・道後山を経由して斐伊川につないだ「吉備ー出雲」ルート
 ・吉井川から「津山盆地」を経由して千代川につないだ「吉備ー鳥取」ルート
 ・市川から朝来を経由して円山川につないだ「播磨→豊岡」ルート
 ・淀川・宇治川から琵琶湖敦賀気比若狭湾を経由して円山川につないだ「摂津ー淡海ー敦賀ー豊岡」   ルート

 中でも特に「吉備→出雲」ルート中国山地比婆山道後山を分水嶺とし、瀬戸内側に流れる高梁川旭川と山陰側に流れる斐伊川の両河川をつないで、「人」「物」「文化」の交流を可能にした。瀬戸内と日本海を結んだ日本初の南北横断道は「吉備の鉄文化」と「出雲の銅文化」を結びつけた「鉄の道」、「銅の道」である。

 「吉備国」は「製鉄ルート」の要であった。中でも「吉備国」から高梁川を遡上し、「砂鉄」で有名な船通山を源流とする斐伊川を下り「出雲国」に至る「吉備ー出雲」ルート「吉備国」から「播磨国」へ東進し、市川を遡上し、朝来を源流とする円山川を下り「但馬国」氣比に至る「播磨ー但馬」ルートが瀬戸内海と日本海を結んだ主要ルートであった。「鉄」だけでなく出雲の「銅鐸」がこの二つのルートで原料銅として瀬戸内諸国に流通した。

・・続き・・

[系譜から見る丹波・尾張を切り拓いた海人「天村雲命」一族]                                                            (尾張員弁の祖)
                       葛城猪名部族ーーーーーーーーーーー尾張大印岐命
                       (伊賀・淡海)         (稲部→員弁へ)
阿比良姫
 |                            (葛城→丹波へ
 |-------天忍人命ーーー天登目命ーーー建斗米命ーーーー建多乎利命ーーーー竹野別命ーー→
 |                              |      (丹波竹野)
天村雲命                             ※建田勢命の後任
 |(海人葛城族)                       ↓
 |-------御蔭命                  (丹波国造)
 |        |    (若狭の豪族)(若狭国造)  (丹波海部氏)
葛城伊加里姫    |-----笠水彦命ーーー笠津彦命ーーーー建田勢命ーーーーー建諸隅命ーー→
          |    (志楽郷)  (志楽郷)   (若狭→山城水主へ)(山城)
伊氷鹿命ーーーーー井光姫
(吉野丹生族の首)
※若狭へ移住した族



真敷戸辺
 |      (尾張連=尾張氏の祖)
 |-------建稲種命ーーー尻綱根命(尾張氏)
 |
乎止与命
丹波→尾張海部郡へ進出
(尾張国造)
(尾張海部氏)

(山城県主)
倭得玉彦命ーーー山背大国不遅命
(山城水主村) (山城宇治)

[系譜から見る丹波国と吉備国の成り立ち]

                                ⑪垂仁大王
                                  |
                                  |------⑫景行大王
        (丹波鋳鍛冶族)                  |
         丹波由碁理ーーー丹波麻須命ーー川上麻須郎女 |・日葉酢姫
 (和珥氏族)                  |     |(丹波国造の祖) (丹波国造)
|・和珥彦押命ーー彦国姥津命ーーー意祁津姫    |-----|・丹波大矢田彦命ーー丹波大倉岐命
|                 |      |     |(但馬国造の祖) (但馬国造)
|・細姫              |-----彦坐王    |・川上出石別命ーーー船穂足尼命
  |               |    (①|丹波道主命)         (三河穂国主)
  |-----⑧孝元大王ーーー⑨開化大王    |-------彦宇斯王ーーーーー朝廷別王
  |                      |      (②丹波道主命)
 ⑦孝霊大王                  息長水依姫
  |     (吉備国主)         (丹生水銀族
  |------五十狭芹彦命ーー大矢田子命ー→日下部氏
  |     (吉備津彦命)
|・倭国香姫  (播磨国主の祖)(吉備大伴氏)         (播磨国主)
|      |・稚武彦命ーーーー友耳建彦命ーー吉備建彦命ーーーー若建吉備津彦命
| |----|(吉備津彦命)
| |    |・彦狭島命ーーーー越智王子ーー→越智氏
|・蝿伊呂杼  (伊予国主)  (伊予水軍の軍主)
 (磯城族

[余談編]

1、「温羅」の妻の郷である阿曽郷について、余談として追記する。

 阿曽の地名の由来は古く「神武東征」が行われた頃、筑紫基肄に渡来した鉄山師族「意富族」阿蘇へ進出したが、「彦八井耳命」(後の「神武大王」)の弟「神八井耳命」日向から阿蘇へ進出、「意富族」と交わり阿蘇地方の「国づくり」に務め、「製鉄民族」の九州の一大拠点を成した事で「製鉄民族」の居留地に阿曽阿蘇)の地名が付けられる様になった。ちなみに「都奴我阿羅斯等」に帯同して渡来した「額田部大加賀美命」が入植した「伊賀国」蒲生にも阿曽の地名がある。また大江山とされた「陸耳御笠」が入植した由良川が注ぐ湾も阿蘇の海である。

2、製鉄開拓が行われた地域に「キイ」と発する地名が残されている事について、余談として追記する。

 
朝鮮半島から筑紫基肄きい)に渡来した「製鉄民族」が日本の各地に入植した。その地域が「キイ」と発する地名で不思議と繋がっている。「筑紫基肄(キイ)」→「紀伊国(キイ)の吉備キビ)」→「吉備国(キビ)」→「播磨国の氣比キイ)」→「丹波国の氣比キイ)」吉備国→出雲国の斐伊川(ヒイ)」などは「製鉄民族」が入植した地域であり、「キイ」又は「キヒ」「ヒイ」「キビ」の音を発する地名の繋がりは「製鉄伝播ルート」を示していると云える。


category: (2)鴨王国「吉備国」の国譲り

tag: 桃太郎伝説  鬼伝説  温羅  吉備津彦命  製鉄王国  鉄の道  天日矛族  陸耳御笠  丹波由碁理  建田勢命 
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