好々彦の神代文化考

神話と系譜と足跡を元に”古代人の生き様”を読み解き、新しい古代史の視点を提案する。きっとあなたの古代史観が変わる!                                                              

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天照大神の奉斎と大和国家の統一  

(5)大和国家統一と歴代「大王」の事跡

初代「神武大王」~二代「綏靖大王」の代

 水稲種籾を携えて東征した豊国日向豪族「彦八井耳命」摂津三島入植し、先住弥生人陸稲耕作を営む「三島鴨族」水繰り技術を持つ「溝咋族」出会い、水稲耕作成功させて三島豪族として君臨し、「登美饒速日命」と称せられた。

 「登美饒速日命」一行更に新た水田可耕地を求めて「倭国」進出し、葛城地方先住弥生人「葛城鴨族」水稲耕作伝授して大規模水田耕作を営むになった。更に葛城高尾張先住弥生人「葛城族」磯城地方先住弥生人「磯城族」結びつき支配下に治めて「倭国」磐余大豪族として君臨し、「神倭磐余彦命」と称せられた。

 紀元前六百六十年「大王」即位して初代「神武大王」となった。初代「神武大王」は「始馭天下之天皇」はつくにしらすすめらみこと)と云われ、初めて天下治めた天皇とされている。

 「倭王権」を支える「朝廷」大臣として、「六大夫」「長髄彦命」とする「忌部氏」「宇摩志麻遅命」とする「物部氏」「宇佐津臣命」とする「中臣氏」「大田田根子命」とする「大三輪氏」「阿多津奇根命」とする「加茂氏」「天村雲命」とする「海部氏」)を擁して「倭王権」誕生した。

 「倭国」磯城地方先住弥生人「磯城族」領有する「三輪山」裾野に広がる笠縫邑一帯「御食地」として直轄化し、「三輪山」「大王家」祖先御霊を鎮めて「大王家」聖地とした。

 「中臣氏」始祖となる海人「宇佐津臣命」渡来技術者集団を率いる山師族「大田田根子命」舟運帯同「紀の国」入植し、「紀の国」在地豪族支配化に治め、「紀の国」一大豪族として君臨した。「倭王権」はこの事態看過出来ず、「朝廷」重臣招聘し、「紀の国」勢力を削いだ。「大田田根子命」聖地「三輪山」祭祀する「三輪神主家」を賜り、「宇佐津臣命」子息「大御食津臣命」「神迎え神事」丈旗隊役割を担い、共に大臣職を賜った。

 「神武大王」王子「宇摩志麻遲命」初代「物部氏」を賜り、代々「御食国」領土として掌握管理する「食国政申大夫」(けのくにまんもすおおぶ)と云う大臣三輪山次席神主を務めた。

 「物部氏」「御食国」掌握管理を担い、「中臣氏」「御食国」からの献納物収納管理する屯倉運営管理を担った。

三代「安寧大王」の代

 縄文時代より、「新羅国」から「額田部族」海人「斯盧隼人族」(しろはやとぞく)に舟運帯同して但馬鳥取地方に渡来入植し、日本海沿岸諸国開拓し、朝鮮半島交易を盛んに行い、「額田部族」はじめとする新羅人日本海沿岸席巻した。

 「朝廷」はこの旨し国・日本海沿岸諸国支配下に治めるべく、「天火明命」祭神とする「海部氏」「天村雲命」但馬地方派遣した。「天村雲命」子息「御蔭命」但馬地方支配し、子孫「若狭彦命」として「若狭国」君臨した。六代「孝安大王」の代に「若狭国造」輩出し、七代「孝霊大王」の代に若狭湾航海を仕切る「倭朝廷」「海部氏」として活躍する様になった。

四代「懿徳大王」の代

 「朝廷」「紀の国」太田郷領有した「大田田根子命」「朝廷」重臣徴用すべく「倭国」招聘した。「物部氏」二代当主「彦湯坐命」「食国政申大夫」に任じ「紀の国」太田郷領地として与え、「御食国」として掌握管理させ、支配下に治めた。さらに画期的「窯焚き技術」発明した「紀の大伴氏」祖「建甕槌命」「国土開拓神」として招聘し、「猪名部族」祖「高倉下命」を伴い、宇陀名張伊賀地方で製鉄開拓を行い、それぞれは「伊賀国」豪族として君臨した。

 「朝廷」「物部氏」三代当主「出石心大臣命」「食国政申大夫」に任じ「倭国宇陀、名張」領土として与え、四代当主「大水口宿禰命」「食国政申大夫」に任じ「伊賀国」を、さらに「淡海国」、「尾張国」領土として与え、「御食国」として掌握管理させ、支配下に治めた。

五代「孝昭大王」~六代「孝安大王」~七代「孝霊大王」の代

 「朝廷」は更なる「御食国」拡大目指して、「中臣氏」「巨知人命」(おちとのみこと)を「淡海国」派遣した。「巨知人命」「猪名部族」帯同して琵琶湖周辺諸国製鉄開拓を行い、最終的湖北木之本現・長浜市木之本町)に至り、製鉄開拓一大拠点を築き「伊香具氏」輩出した。「朝廷」「淡海国坂田」現・長浜市近江町)を「坂戸物部氏」「大峰大尼命」領土として与え、「御食国」として掌握管理させ、支配下に治めた。

「中臣氏」この地起点にして「美濃国」「尾張国」製鉄開拓展開し、更には六代「孝安大王」の代に「大中臣」「神聞勝命」(かみききかつのみこと)が東北地方開拓の為、武蔵常陸地方へ先遣隊として派遣され、枷取の地で先住民「甕星香香背男」(みかほしかかせお)と懐柔し、この地豪族「天枷男命」(あまのかせおのみこと)を賜り、「香取氏」輩出した。

 六代「孝安大王」は「中臣氏」「建御世狭名命」(たけみよさなのみこと)を「河内国」狭山派遣し、狭山進出拠点を置いた造墓集団「興津族」「奥津世曽命」とする造墓専門とする土師族)と結びつき、「大王家」墳墓造営を司る「和珥氏」輩出した。「和珥氏」巨大墳墓造営構想主導し、墳墓履歴管理を担った。「中臣氏」築造された墳墓「神」御霊「神迎え」する事は勿論、墳墓様式位置方位設定を占う祈禱師役割を担った。

 七代「孝霊大王」は日本海沿岸諸国豊富「御食物」「倭朝廷」収納するルート構築する為に「海部氏」「倭氏」を結び付けて若狭湾琵琶湖宇治川、木津川水系を繋いだ、謂わば、「日本海沿岸諸国」「倭国」を繋いだ一大舟運ルート開拓した。

 若狭湾航海を仕切る「海部氏」ルーツは、三代「安寧大王」の代に但馬地方開拓の為に、海人「葛城族」「天村雲命」「吉野丹生族」首「伊氷鹿命」若狭派遣され移住し、それぞれの王子「御蔭命」娘「井光姫」が交わった氏族で、代々水銀開拓交易などで大を成し「若狭彦命」名乗った名門一族である。

 「御蔭命」三代孫「建田勢命」(たけたこりのみこと)は若狭青葉山拠点水銀開拓交易を行い、若狭地方の支配者となり、「若狭国造」「海部氏」を賜った。「建田勢命」朝貢物水銀「倭国」舟運献納する責任者を賜り、「山城国」水主郷拠点を移した。因みに、若狭湾「海部氏」「御蔭命」異母兄弟「天忍人命」三代孫「建多乎利命」(たけたこりのみこと)が継いだ。

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 「倭国」への第二の玄関口である「山城国」を拓いた「水運王」と「水銀王」の居留地

 「大隅隼人族」とすし、「倭氏」拝命した「椎根津彦命」二代目「志麻津見命」淀川河口大隅島現・姫島辺り)を拠点としていたが、五代「孝昭大王」の頃四代目「飯手宿禰命」淀川水系木津川水系開拓し、木津川中流域両岸に沿う井手の地(井出郷水主郷大住郷)に本拠地展開した。「大隅隼人族」一大拠点となり、宇治川木津川水系舟運仕切った。

 井手地域には多く水主衆船主、船頭、櫂子衆)が居留していたが、木津川右岸若狭「海部氏」一族移住入植した。右岸水主郷が拓かれ、左岸には「大隅隼人族」居留する大住郷が拓かれた。木津川を挟んで「水主一族」「大隅隼人族」住み分けがなされた。

 水主郷木津川右岸に在り、現在城陽市水主で、近鉄富野荘駅から1㎞西北西木津川ほとり「水主氏」氏神である水主神社鎮座する。「天火明命」祭神とする海人「葛城族」「天村雲命」子孫「建田勢命」若狭「海部氏」を賜り、この地移住した。「海部氏」祖先子孫一族水主神社祭神として祀られている事から水主郷には「建田勢命」一族水主衆移住し、居住したと思われる。

 対岸大住郷には月読神社大住車塚古墳が在り、月読神社「大隅隼人族」氏神である事から、子孫「大隅隼人族」水主衆船主櫂子衆を束ねる船頭など)が居住したと思われる。

 余談になるが、四十年前田辺街道京都方面に向かってを走らせていた時水主郷付近で裏街道に反れ、偶然にも水主の集落出会った。驚いたのは家屋の妻面軒下丸水円の内に水の字を描いた)の屋号軒並みにされた集落目の当たりにし、水主衆集落に違いないと直感した。

 現代に伝わる水主衆は、平安時代栗隅大溝と云う農業用水路開拓し、水田配水管理を行った水主衆とされ、その一族子孫居住した集落とされているが、ルーツ船主櫂子衆を束ねる船頭櫂子衆など水運を司った水主衆居住した集落であったと確信している。

「倭」への第二の玄関口「山城国」を拓いた若狭「海部氏」の子孫
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八代「孝元大王」~九代「開化大王」の代

[系譜から見る国家統合に挑んだ建国隊将軍]

         |・蝿伊呂杼 |・彦狭島命ーーーー越智王子ーーー越智氏
         |  |ーーー|(伊予国主)  (伊予水軍主)(伊予水軍)
   倭知都美命ー|  |   |・稚武彦命ーーーー友耳建彦命ーー吉備武彦命ーーー若建吉備津彦命
  (倭氏係累) |       (①吉備津彦命)(吉備大伴氏)        (②吉備津彦命)
         |・倭国香姫                         (出雲征伐随行)
            |
            |ーーーーー五十狭芹彦命ーー大矢田子命ーー吉備日下部氏
            |    (①吉備津彦命)
            |
            |     建斗目命ーーーー建多乎利命ーー尾張大海姫
            |    (尾張氏の祖)          |     (丹波弥栄の豪族)
            |                     |ーーーーーー八坂入彦命ーー→
            |                     |
            |                    ⑩崇神大王 |・建渟名川別命
            |                     |ーーーー|(東海道将軍)
            |           |・大彦命ーーーー御間城姫  |・⑪垂仁大王
 |・⑥孝安大王ーーー⑦孝霊大王ーー⑧孝元大王 |(東北道将軍)          |
 |          |           |・⑨開化大王  丹波河上姫    |ーーーーー→
 |          |              |      |       |
ー|          |              |      |ーーーーーー日葉酢姫
 |          |              |    (①丹波道主命)
 |(太祖和珥氏)|・細姫              |ーーーーー彦坐王
 |・天足国押命ー|(和珥氏賜る)          |      |     (②丹波道主命)
         |・和珥彦押命ーー彦国姥津命ーーー意祁津姫    |ーーーーーー彦宇斯王
                                  |
                                 息長水依姫
                                (丹生息長氏祭神)(播磨鋳鍛冶族)
                                         印南別命ーーー→

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

八坂入姫
  |
  |
  |ーーーーーー⑬成務大王
  |
  |              稚武彦命(出雲建部)
⑫景行大王            ↑(出雲へ移住)
  |      弟橘姫      |
  |       |ーーーーーー稚武王(吉備建部)
  |    |・小碓命(倭建命ー西国→東国平定)
  |    |  |ーーーーーー稲依別王(近江建部)
  |ーーーー| 両道入姫
  |    |
  |    |・大碓命(倭建命ー東国平定)
  |
  |
稲日太郎姫

 八代「孝元大王」は「西国」平定する為に「山陽道(西国)将軍」として、異母兄弟「五十狭芹彦命」「稚武彦命」「彦狭島命」製鉄王国「吉備国」「播磨国」「伊予国」派遣し、「吉備国」「播磨国」「伊予国」平定掌握管理した。子孫代々それぞれの国「国造」職を賜った。

 九代「開化大王」は「北陸道」平定する為に「北陸道将軍」として、「大彦命」「北陸道」派遣し、「信濃国」「越国」平定掌握管理した。子孫代々それぞれの国「国造」職を賜った。

 又「開化大王」は「丹波道」平定する為に「丹波道主命」として、「開化大王」王子「彦坐王」「彦宇斯王」二代に亘って「丹波道」派遣し、「丹波国」平定掌握管理した。子孫代々それぞれの国「国造」職を賜った。

 「孝元大王」の代から「開化大王」の代にかけて、「西国」平定「北陸道」「丹波道」平定の為に「山陽道将軍」「北陸道将軍」「丹波道主命」を置いて、多くの平定支配下に治めた。しかし「西国」「北陸道」「丹波道」諸国抵抗は激しく、一筋縄ではいかず、「神の力」無くては攻略不可能な事を思い知らされた。この様な事態打破するする為に究極の策として、「中臣氏」主導で、天祖神「天照大神」創生されたと考える。その時期八代「孝元大王」か、九代「開化大王」何れかであると思われる。

 「開化大王」は天祖神「天照大神」求心力御旗に掲げた「国づくり」推進する為に、伊勢の地「伊勢大神宮」建立発願した。そして「大中臣」(おおなかとみ)の「相鹿津臣命」(おうかつとみのみこと)を「伊勢津彦命」が治める伊勢相可(おおか)に派遣し、「伊勢国」「御食国」とすると同時に、「伊勢大神宮」建立用地として宇治山田原「大王家」直轄地とした。その代地として信濃安曇野を与えた。

 「伊勢国」最後「御食国」となるが、これまでに「御食国」とした「倭国」「但馬国」「紀の国」「伊賀国」「淡海国」「美濃国」「尾張国」「伊勢国」八か国に及ぶ。

 以降「天照大神を求心力とする国づくり」が進められるが、平定する諸国斎宮元伊勢神宮)を建立し、「天照大神」祭祀した。又過去に治めて来た「御食国」にも、遡って元伊勢神宮建立した。二代「綏靖大王」の代から九代「開化大王」の代までに八か国「御食国」とし、二十か所元伊勢神宮建立して来た。

十代「崇神大王」~十一代「垂仁大王」の代

 十代「崇神大王」の代から「天照大神を求心力とする国づくり」本格化するが、「崇神大王」は諸国散在する「天照大神」を祀る「元伊勢神宮」「伊勢大神宮」一堂に集め、斎王制度を定め、一元祭祀を行うことで「天照大神を求心力とする国づくり」思想明確にし、太陽神たる天祖神「天照大神」御姿浮上させる為に「伊勢大神宮」建立勅願した。

 又、天祖神「天照大神」祭祀「大王家」に於ける最高位祭事であるが、「御杖代」「大王」代理)を立てて執行する様になった。「崇神大王」「豊鍬入姫」初代「御杖代に立てたが、「御杖代」巡幸祭祀「伊勢大神宮」創建成るまで続いた。「大神宮」創建「垂仁大王」の代となるため、「垂仁大王」「倭姫命」二代「御杖代」を務めた。数多く「御食国」に坐す「天照大神」巡幸祭祀する「御杖代」ご苦労解消する為に、一箇所祭祀出来る様にする事も建立の大きな狙いでもあった。

 「崇神大王」による「伊勢大神宮」建立は、諸国「御食国」化して直轄地として支配する時代から、諸国平定し、国家統一を行うと云う新たな時代への転換となった。因みに、十代「崇神大王」は「御肇国天皇」(はつくにしらすすめらみこと)と云われ初めて大和国家統一を始めた「天皇」とされる。

 十一代「垂仁大王」は「中臣氏」「天日別命」「相鹿津臣命」)の子息「大若子命」伊勢神宮建設責任者に任じ、その主導「伊勢大神宮」落成し、天祖神「天照大神」「神迎え」盛大に行った。また神宮建設用地代地として「伊勢津彦命」に与えた信濃安曇野土地伊勢神宮「御食地」として開拓する為に「大若子命」「弟若子命」安曇野派遣した。

 「垂仁大王」伊勢神宮「斎王制度」を定め、「倭姫命」初代「斎王」に任じ、「斎王」大嘗祭遷宮祭を執り行う様になった。また「伊勢大神宮」建立主導した「天日別命」係累子孫伊勢神宮神主宮司に任じた。その結果一族「天照大神」祭祀する立場になり、一族祖神祭祀する困難となり、「出雲国」杵築の地大社建立して祭祀する請願許諾した。

 「垂仁大王」は「東海道将軍」として「崇神大王」王子「建沼河別命」二代目「吉備津彦命」「若建吉備津彦命」出雲の地派遣し、「出雲国」平定した。更に「建沼川別命」「東海道」派遣し、「遠江国」、「駿河国」、「甲斐国」、「相模国」、「武蔵国」など五カ国平定した。

 六代「孝安大王」の代に「中臣氏」「神聞勝命」(かみききかつのみこと)、「兄勝命」、「弟勝命」三兄弟先遣隊として東海、東北地方派遣されたが、鹿島地方派遣された「神聞勝命」枷取地原住民「甕星香香背男」(みかほしかかせお)と懐柔し、関東平野一帯枷取の地領有し、豪族「天枷男命」(あまのかせおのみこと)として君臨するが、「垂仁大王」の代に東海道、東北道平定の為に派遣された「建沼河別命」により誅伐され、枷取の地「倭王権」併合された。

 枷取の地東国蝦夷対峙する「倭王権」前線基地として、「倭王権」を示す神領地として東北道開拓重要拠点となった。

十二代「景行大王」~十三代「成務大王」の代

 十二代「景行大王」は東海道、東北道鉄資源開拓する玄関口として輸送基地として、「下総国」枷取の地香取神宮建立し、霞ヶ浦流出口対岸「常陸国」神栖鹿島神宮創建した。香取神宮にはこの地開拓神「天枷男命」を祀り、鹿島神宮には国土開拓神「建甕槌命」を祀った。

 「景行大王」は日本建国隊「倭建命」配置して西国東国派遣した。「景行大王」は弟王子「小碓命」を伴って九州筑紫遠征し、兄王子「大碓命」東国平定派遣した。「小碓命」「熊襲国」平定するが、「大碓命」対峙する東国蝦夷勢力は強く難攻した為に「小碓命」東国平定追陣した。

 「景行大王」の代に西国「熊襲国」東国「東方十二か国」「越国」平定した。諸国国津神社(くづじんじゃ)を建立し、祖神国津神)を祀らせた。また諸国「国造」「邑主」を置き、行政区画を創った。

 「御食国」では元伊勢神宮同時に、「天照大神」食糧を司る神「豊受大神」祭神とする豊受神社を祀った。この伊勢神宮外宮豊受神宮一箇所に集め、祭祀される様になった。

 「景行大王」の代に出雲杵築神社出雲大社)が建立された。また西神宮として出雲日御碕「出雲神宮」日沈宮)が造営され天祖神「天照大神」祭祀された。

 十三代「成務大王」の代に全国殆どの国併合され、大和国家統一がなされた。五十九か国統合百十五「国造」制定した。「崇神大王」国家統一発願し、「成務大王」の代まで三代「大王」百年~百五十年間)に亘って五十九か国国家統合がなされた。

                    この章を以って「好々彦の神代文化考」の記事の完結とします。

・・続き・・

「倭」への第二の玄関口「山城国」を拓いた若狭「海部氏」の子孫

 初めて「倭」入植した「倭王権」原住民「磯城族」懐柔し、支配下に治める事から始まり、物資人材技術、文化導入する為に「加茂氏」所轄する紀ノ川水系「倭氏」所轄する淀川水系、木津川水系二大舟運ルート手中に治めた。

 「倭」への最初玄関口紀ノ川水系にある「葛城国」であった。「紀の国」から紀ノ川、吉野川遡上して葛城へ至るルートで多くの部族入植した。最初入植者「天火明命」祭神とする海人「天火遠理命」帯同した「葛城一言主神」祭神とする「猪名部族」祖「葛城麿命」「高倉下命」親子などの一族である。次いで「大田田根子命」帯同した「新羅国」工人集団「額田部鋳鍛冶族」である。

 第二の玄関口として開拓されたのは木津川水系にある「山城国」である。「若狭国」から琵琶湖、宇治川経由して木津川遡上して葛城へ至るルート及び、「瀬戸内諸国」から大阪湾、淀川経由して木津川遡上して山城へ至るルートで多くの部族入植した。

 三代「安寧大王」の代に若狭移住した「吉野丹生族」海人「葛城族」と交わり、若狭青葉山拠点水銀開拓若狭湾拠点として水銀交易を行い、「笠水彦命」「建田勢命」(たけたこりのみこと)を輩出し、代々若狭の支配者「若狭彦命」拝命した。若狭湾航海仕切った「建田勢命」「朝廷」から「海部氏」称号を賜った。

 「建田勢命」水銀「倭朝廷」献納する為に、若狭から琵琶湖北西岸今津まで陸運し、琵琶湖宇治川木津川舟運山城船着場玉水の津に至り、玉水の津より1.5㎞西木津川左岸宮津屯倉を置いて、献納物収納管理した。宮津屯倉収納された献納物「朝廷」屯倉現・磯城郡三宅町比定)まで陸運献納した。謂わば、「日本海」「倭」をつなぐ物質水運一大ルート開拓した。「建田勢命」「大隅隼人族」拠点である山城大住郷対岸水主郷拠点を構えた。

 「倭得玉彦命」「倭朝廷」に通ずる水運陸運拠点として山城宮津屯倉)を開拓し、山城支配する「水運王」として君臨した。「倭朝廷」屯倉開設した「久米部」朝廷警備を司る部民)を派遣して屯倉警備厳格化し、直轄化した。直轄地となった山城屯倉「朝廷」屯倉を結ぶ周辺地域「大倭国」(おおやまとのくに)に定め「大倭国造」を置いた。

 曾孫「山背大国不遅命」は、十代「崇神大王」の代に宇治川、木津川、鴨川、桂川流れ巨椋池に集まり、淀川に注ぎ大河を成し大阪湾に至り、瀬戸内諸国に繋がる大水運ルート開拓した。謂わば、「丹波山地」「瀬戸内諸国」「倭国」をつなぐ一大水運ルート開拓し、巨椋池東岸宇治大国郷一大拠点を置き、水利運航支配した。親父「倭得玉彦命」「水運王」ならば、息子「山背大国不遅命」「大水運王」と云える。また「綺戸辺」「刈羽田戸辺」姉妹「垂仁大王」妃とした。「倭王権」取入り、「山背国」開拓した「山背大国不遅命」「山背国造」を賜り、「開拓神・山背大国魂命」として称えられた。

[「山城国」を拓いた氏族の系譜]

|[②綏靖大王] |[③安寧大王] |[④懿徳大王] |[⑤孝昭大王] |[⑥孝安大王] |[⑦孝霊大王] |

 倭志麻津見命ーー倭武速持命ーーー倭邇支倍命ーーー倭飯手宿禰命ーー倭御物宿禰命ーー倭市磯長岡市命
(大隅島を拠点)                (山城井出郷を拠点)      (倭十市郷を拠点)
       |・賀茂五十手美命賀茂麻都躬命ーー賀茂看香男命ーー賀茂津久足尼命賀茂猿弟人命ー→
賀茂玉依彦命ー|(山城賀茂氏の祖)(山城松井郷を拠点)
       |・賀茂剣根命ーーー賀茂夜麻都躬命賀茂久多美命ーー加豆良支根命ーー賀茂垂見宿禰命
        (葛城賀茂氏の祖)               (葛木国造)
 吉野御子守彦ーー伊氷鹿命ーーーー井光姫
(吉野丹生族) (吉野丹生族の首) |     (若狭彦命)  (若狭彦命)  (若狭彦命)
 穂屋姫    (若狭へ派遣移住) |ーーーーーー若水彦命ーーーー笠津彦命ーーーー建田勢命ーーー→
  |     (海人葛城族の太祖)|     (若狭の豪族) (若狭国造)  (若狭海部氏)
  |ーーーーーー葛城伊加里姫   |                     (山城水主へ移住)
  |       |       |      十市五十坂彦命押姫(五十坂姫)
 天香語山命    |ーーーーーー御蔭命    (十市県主)    |
  |       |                       |ーーーーーー⑦孝霊大王ーー→
  |ーーーーーー天村雲命            ⑤孝昭大王    |
  |       |               |    |・⑥孝安大王
 大屋津姫     |     (賀茂剣根命の娘) |ーーーー|(和珥氏の太祖) 
          |      葛木加奈良知姫  |    |・天足国押人命
          |       |    |・世襲足姫     |  
          |       |ーーーー|(造墓集団)    | 
          |       |    |・奥津世襲命土師氏
          |ーーーー|・天忍男命             |ーーーーーー和珥彦押命ーー→
          |    |                  |     (和珥氏賜る)
 阿多津奇根命ーー阿多依姫  |・天忍人命ーーーー天斗目命ーーーー宇那比姫 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

|[⑧孝元大王] |[⑨開化大王] |[⑩崇神大王] |[⑪垂仁大王] |[⑫景行大王] |[⑬成務大王] |


                                        |・賀茂大屋奈命
賀茂佐佐彦命ーー賀茂菅牽命ーーー賀茂稚可士命ーー賀茂馬岐耳命ーー賀茂大伊伎命ー|
                        (山城薪郷を拠点)       |・賀茂阿波伎命
葛木諸見己姫
  |    |・大倭姫
  |ーーーー|(山城県主・大倭国造)
  |    |倭得玉彦命  (山背国開拓神)
建諸隅命     |     (山背国造)   |・綺戸辺
          |ーーーーーー山背大国不遅命ー|
          |     (丹生息長氏祭神)|・苅羽田戸辺
 大伊賀彦命ーーー大伊賀姫    息長水依姫  (近江息長氏の祖)
                  |    |・水穂真若王
⑧孝元大王ーーー⑨開化大王    |ーーーー|(丹波息長氏の祖)
          |       |    |・彦宇斯王
          |ーーーーーー彦坐王(①丹波道主命)
          |       |     (山城息長氏の祖)
          |       |ーーーーーー大筒木真若王
          |       |       |     (山城譜賢谷を拠点)
       |・意祁都姫  |・袁祁津姫     |ーーーーーー迦邇米雷王
       |       |          |       |      (朱智氏の祖)
彦国老津命ー|・意祁都命ーー|・伊理泥命ーーーー阿治佐波姫    |ーーーーーーー息長宿禰王
                                  |
                         丹波遠津臣命ーー高材姫
                        (丹波中臣氏)

 水主神社境内「宮の馬場」痕跡がある。これは若狭から水銀などの「御食物」舟運して玉水の津陸揚げし宮津屯倉収納し、更に「朝廷」屯倉まで陸運を担う駐屯基地「宮の馬場」であった。この地居住する「水主氏」一族「宮の馬場」基地内水主神社建立祖先を祀った。水主神社境内元々「宮の馬場」駐屯基地であった。また水主神社境内鎮座する樺井月神社祭神月読命)は牛馬守護神であり、を扱う氏族樺井氏?)の祖先を祀ったものであると考える。元々木津川右岸鎮座していたものが水害で流され、水主神社境内に遷されたと云われている。

 船着場から足場の悪い河川敷陸揚取次をする「日下部馬津族」か?、「樺井の渡し」が在り、「宮の馬場」が在り、薪郷と云う「牧場」が在り、「馬津」存在暗示する「草内」地名が在り、を扱う部族活躍したしたのは間違いない。それが「樺井氏」祖先なのかどうか?

 恐らく、生駒山降臨した「額田部馬飼族」と結びついた「山城賀茂氏族」を使った農耕山出し土木作業を営んでいた。「山城賀茂氏」「大隅隼人族」帯同して山城以北国土開拓を行い、五世紀頃には山城から北部一帯「山背国」開拓し、「朝廷」直轄地として寄進した。

 四代「懿徳大王」の代に「山城賀茂氏」「賀茂五十手美命」「賀茂麻都躬命」大住郷西山手松井郷を拓いている。十一代「垂仁大王」の代に九代孫「賀茂馬岐耳命」(かものまきみみのみこと)が大住郷南隣薪郷を拓いている。「樺井氏」「賀茂氏」係累子孫かどうかは不明であるが、「大隅隼人族」共存する「山城賀茂氏族」子孫樺井月神社「隼人族」航海守り神でもあり、農耕月歴神でもある「月読命」を祀ったのではないか?

 薪郷「薪」「牧」に通じて、放牧する牧場であった。古墳時代運送馬の他、農耕馬炭焼用を切り出す労役に使われたりした。また若狭から今津まではによる陸運がなされたが、今津北にもマキノ(牧野)と云う地名があり「薪」にも通じる。マキノ小荒路槫路(くれじ)と云う地名があり、山出し集積地を指す事から、普段「薪」を切り出す労役に使われ、「御食物」献納する時期だけ徴用された。マキノ「牧場」牧野)であって「薪場」でもあったと考える。

 十代「崇神大王」の代に丹波道開拓の為に「開化大王」王子「彦坐王」「丹波道主命」として派遣した。若狭行永入植した「息長水依姫命」祭神とする「丹生水銀族」と結びつき、水銀採掘精錬を司る「息長氏」系王子「彦宇斯王」「丹波息長氏」)と「水穂真若王」「近江息長氏」)を輩出した。他方墳墓を施す造墓集団「興津族」係累で、「大王家」造墓を担う「和珥氏」と結びつき、「和珥氏」系王子「大筒木真若王」「山城息長氏」)を輩出し、三系統「息長氏」輩出した。

 「彦坐王」「丹生水銀族」と結びつき、水銀朱に入れ、それを「大王家」造墓を担う「和珥氏」族供給する、謂わば産地消費地を繋いで、「流通」道筋を築いた。これが「彦坐王」「丹波道主命」以外取り上げられる事のない、知られざる事跡と云える。

 古来より造船造殿を司る「海人族」「紀氏忌部」などが舟底建造物防腐剤として利用していたが、古墳時代には「造墓集団」石棺石廓防腐霊命蘇生儀式として利用したが、更には、元伊勢神宮に祀った「天照大神」御魂代としての神鏡を輝かせる為に、水銀鍍金(きんめっき)をしたした。古墳時代以降水銀金銀鉱精錬金鍍金などに欠かせない貴重物資として珍重され、古代文化黎明寄与した。水銀全国から「倭国」第二玄関口となった「山城国」経由して「倭国」集積される様になった。

 「丹波息長氏」「丹波国」行永現・東舞鶴市)を本拠地とし、若狭湾岸産出する水銀採掘を行い、「近江息長氏」「近江国」坂田現・米原市長浜市一部)を本拠地とし、近江東北部伊勢美濃地方に産する水銀採掘を行った。「山城息長氏」「山城国」普賢寺谷現・京田辺市普賢寺川中流域)を本拠地とし、「丹波息長氏」「近江息長氏」採掘した水銀「山城国」宮津屯倉)に集積し、「朝廷」献納する役目を担った。因みに、普賢寺「山城息長氏」菩提寺である。

 十一代「垂仁大王」の代に「山城息長氏」「大筒木真若王」王子「迦邇米雷王」丹波製鉄品収納する丹波の屯倉宮津国分寺)の掌握管理を担った「中臣氏」「丹波遠津臣命」(たんばのとおつとみのみこと)の娘「高材姫」を娶り、「建田勢命」開設した「日本海諸国」「倭国」を結ぶ舟運ルート水銀などを「山城国」宮津屯倉舟運集積して「朝廷」献納した。山城普賢寺谷本拠地とし、一大豪族として君臨し、「山城国造」を賜った。子孫「朱智氏」山城朱智神社普賢寺谷から2㎞南西高ヶ峰鎮座する)に祖先「迦邇米雷王」氏神として祀った。

 この地「山城息長氏」とする「丹生水銀族」居留地として栄えた。奈良時代建立された東大寺大仏金鍍金が施されたが、集められた水銀の殆どが若狭東大寺荘園採掘されたものである。その水銀を取り扱った「朝廷」役人「水取連」「和珥氏」とする「大倭五十足命」)である。「和珥氏」係累「山城息長氏」「大筒木真若王」子孫代々本拠地とした普賢寺谷1㎞南水取と云う地名がある。「水取氏」居留地であり、古墳時代から少なくとも奈良時代まで「山城息長氏」血脈脈々と引き継がれた事が伺える。

 因みに、「笠水彦命」「水」「息長水依姫命」「水」「水主」「水」「玉水の津」「水」「水取氏」「水」「お水取り神事」「水」はすべて「水銀」を指す。「水銀」古来より「瑞」(みず)又は「瑞穂」と云われた。水銀常温唯一液状水状)の鉱物であることから「水」とか「瑞」とか「瑞穂」と呼ばれた。

 また東大寺二月堂「お水取り」「竹送り神事」松明に使われる産地である高ヶ峰で採られ、普賢寺谷観音寺集積され、東大寺二月堂まで送られる。「お水取り神事」で使われる長い竹先松明は、大仏に施された金鍍金(きんめっき)の「水銀」を炙って昇華させる為のもので、回廊を駆け巡るその姿を表したものである。「お水取り神事」については別途投稿するつもりです。


category: (5)大和国家統一と歴代「大王」の事跡

thread: 日本の国のなりたち - janre: 学問・文化・芸術

tag: 水主郷  水主衆  若狭海部氏  御蔭命  建田勢命  倭得玉彦命  山背大国不遅命  近江息長氏  水穂真若王  迦邇米雷王 
tb: --   cm: 0

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