好々彦の神代文化考

神話と系譜と足跡を元に”古代人の生き様”を読み解き、新しい古代史の視点を提案する。きっとあなたの古代史観が変わる!                                                              

日本の国のなりたち  

(2)海人族の交易が培う古代文化

 日本列島の起源まで遡れば原人がいたのはまちがいないが、一般論として西方には南方諸島から海を渡り九州南部に渡来、入植した「熊襲」と云われる南方系の民族が定住化し、東方にはカムチャッカ半島などから海を渡り北海道、東北方面に渡来、入植し「蝦夷」と云われる北方系民族が定住化し、「縄文文化」を形成した。前一万年から前四世紀を縄文時代と云うが、神話では渡来系縄文人は高天原(天上界)から葦原中国(地上界)に降臨したとされているが、原住民系縄文人は星から地上にやって来たとされている。

 渡来系縄文人は外洋航海術を身に付け、長い距離を丸木舟で往来していた。交易品は南海諸島や中国大陸、朝鮮半島、日本列島など広域に及ぶ産物で、交易は朝鮮半島、対馬、九州北部の間で盛んに行われていた。
 
 縄文時代丸木舟B
  縄文時代に外洋往来したと思われる長さ8m、直径1m以上の丸木舟が舞鶴市浦入遺跡で出土している。

 前四世紀から三世紀までを「弥生文化」の時代と云い、中国や朝鮮半島などとの交易が盛んになり、多くの民族が九州北部に渡来、入植し、さらに東方に移住し、物や技術の交易が盛んに行われた。特にこの時代の特色は、前五世紀水稲耕作が九州北部に伝えられ、数百年程度で急速に日本の東北まで駆け抜けた。また土師技術や鋳鍛冶技術が九州北部に持ち込まれ、「日本海ルート」「瀬戸内ルート」で日本列島(大八島)の東方へ伝わった。

 渡来弥生人達は、より高度な航海技術を持ち、大型化した構造船で外洋や内海を往来した。又河川や湖沼は平底の川舟で往来した。長い距離を航海するには、途中で船のメンテナンスをしたり、新造したり、食料や水の補給、櫂子の交代などをする拠点港をつくり、さらに物資の集散や交易をする市場の機能をもつ椿市、海柘榴市、津波市などに発展する(港市)がつくられた。

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   弥生時代に外洋往来した構造船と河川・湖沼往来した平底川舟のイメージ図

 縄文時代の交易品は南方諸島からは貝輪などの「アクセサリー」や釣針、スプーン、銛など「骨角器」、日本列島の諸地域からは包丁、斧、鏃、鑿、錐、鎚、など「黒曜石製石器」、砥石、鑢など「サヌカイト製石器」、勾玉、菅玉など「ひすい製玉」、また塩、穀物、縄文 土器などの「生活財」等が主に交易された。

 弥生時代の交易の特色は縄文時代と異なり単に物だけの交易ではなく技術を伴った物の交易であった。防腐剤や識別塗料の役割をもつ「丹土」や金、銀の精錬、鍍金を行うための「水銀」や銅鐸、銅鏡を製造するための銅剣、銅矛、銅戈などの「原料青銅」や鉄剣、馬具、農具などを製造するための鉄斧、鉄鋋、鉄ドリルなどの「原料鉄」や砥石、石槌などをつくる「原石」やメノウ、水晶、碧玉などの「玉造用原石」や製鉄用触媒、漆喰用の素材としての「石灰石」や窯、鋳型を造る素材としての「耐火土」や埴輪、須恵器をつくるための「赤土、白土」や製陶、精錬の窯焚きに必要な「薪炭」や冠飾り、馬具飾りなどに使う「金銀素材」など、その他「銅鐸」「銅鏡」「鉄剣」「鎧」「馬具」「農具」「須恵器」「土師器」「巨石」「巨木」「穀物」「塩」「麻縄」や麻、絹、綿などの「布素材」や鮑、鯛、鮎、岩魚、鮭、など「海鮮」「干物」や桃、栗、栃、胡桃などの「果実」「漆」「椿油」「梅酢」「柘榴酢」「葛」等々多岐に亘る。


      

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